ここから本文です

日本の昔話に「結婚してハッピーエンド」が少ないのはなぜ? 昔話から探る日本人の「心」

8/8(火) 11:00配信

ダ・ヴィンチニュース

 海外の昔話の定型には、「男性が困難を乗り越え、女性と結婚する」というハッピーエンドが多い。一方で日本の昔話は、それが限りなく少ない。「浦島太郎」「かぐやひめ」などは、男女が出会っても結婚はせず、終わり方もハッピーエンドとは言い難い。また、「鶴の恩返し」の場合は、結婚から物語が始まるが、別れをもって閉幕となる。

 この違いは一体、何なのだろうか?「文化の違い」と言ってしまえば、それまでだが、その文化が生まれた理由に、「心の在り方の違い」があるのではないかと考えることができる。『定本 昔話と日本人の心』(河合隼雄:著、河合俊雄:編/岩波書店)は、「深層心理学の立場に立って」「日本の昔話と海外の昔話を比較検証してみることで」「日本人の心の在り方を見出そうとする」学術書である。

 本書の内容とズレが生まれてしまう可能性もあるのだが、記事にするにあたり、敢えて簡略に結論を述べてしまうと、「昔話」からは「自我の確立の過程」がうかがえるのだ。そして、西洋の昔話では「結婚」が「自我の確立」において重要な行動であり、日本においては、「西洋近代的な自我」がないので、「結婚」が重要視されないのである。

二つのお話を比べてみよう。

日本の「鶴女房」と西洋のグリム童話「からす」というお話がある。

前者は「鶴の恩返し」と限りなく近い話だ。鶴を助けた男性のもとに、女性に化けた鶴が現れ、夫婦になる(=結婚する)が、正体が露見して消え去る(=離婚する)。

これと正反対の構成になっているのが、「からす」である。

「からす」は王女が母親の呪いで「からす」にされてしまう。そのことを男性に告げ、救済を求める。男の行動により、からすは王女へと戻り、二人は結婚する……というもの。

この二つの物語の要点を比較すると、

鶴女房:動物が人間になる/鶴から男性に会いに行く/鶴は本性を隠している/「転」は男性の「妨害」がある(約束を破り、見てはいけないという部屋をのぞいてしまう)/女の本性が露見し、離婚する。

1/2ページ