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ケツメイシの曲にも流れるjpopならではの“やるせなさ”――近田春夫の考えるヒット

8/9(水) 17:00配信

文春オンライン

はじまりの予感(ケツメイシ)/Mr.Fake(天月―あまつき―)



 jpopといえば今でこそ我が国では誰もが普通に使うようなコトバとして、立派に市民権も得ている訳だが、そもそもは某ラジオ局が戦略目的で使い始めた、出処のハッキリとした“ちゃんとした造語”だったのである。

 いつからかそんないわれさえも知らぬような業界関係者も跋扈(ばっこ)する時代となってしまったが、それはともかくいずれにせよ現在、ある種の共通項を有する、日本固有な商業音楽ジャンルとして、世間にjpopは認知されているような気はする。

 ただ残念なことに、専門にその道を語る評論家の先生方も未だカッチリとした定義等を示してくれてはいぬのよ。

 かかる事情に鑑み、このページなりに、奔放に思うところを述べるってぇのも、まぁ一興ではありましょう(笑)。

 つまるところそれは歌謡曲とは本質的に別のものなのか。また別のベクトルで申せば、英語圏に於いてjpopは普通に“ポップミュージック”として聴こえるものなのか。

 さてjpopらしさといったときいくつか要素も浮かぶけれど、コード進行に関して申せば、一定の“好み”が存在するか否か――過去の数々のヒット曲を思い起こしていけば――検証可能であろう。

 意外と思われるかもしれないが、ラップのイメージの強いケツメイシの新譜なども、まさにそういった、jpopらしいコードの動きを眺めることの出来る曲といっていい。

 といって、それをコードネームなどを用いて解説するのはちとこの欄には馴染まぬ。なので少し噛み砕いて(義務教育で習う範囲の語彙で)説明を進めるが、西洋音楽でいうところの和声は、聴き手の感情と大変密接な関係を持つ。

 例えば葬送行進曲が長調であったらどうだろうか。とてもじゃないが厳粛な気持ちで死者を送り出す気分にはなれないだろう。

 長調短調の音楽それぞれが聴き手の胸にもたらすものは、例えば、喜びと悲しみである。光と陰といってもよい。

 そこでjpopのコード進行だが、基本を長調(ドミソ)とした上で、お約束のようにマイナー(ラドミ)に移行し、また元の明るい響きに戻る。ま、ほとんどがそんな構造だ。

 jpopを聴くと人は“胸キュン”というか、切なさ甘酸っぱさをなんとなく覚えてしまうと思うが、それこそが今述べた、途中でマイナーにさり気なく移りまたメジャーキーに戻り解決するというコードの流れの効果である。和声の塩梅が、リスナーを、幸せだけど、ちょっぴり悲しくもあるみたいな感傷的な気分へと誘ってくれるのである。

 その源流はそりゃ勿論60年代のアメリカンポップスなのであろうが、今となってはもうあの国では、商業音楽のコード進行に“やるせなさ”など、作り手聴き手誰も求めることをやめてしまっている。

 というところで紙幅が尽きた。以下は次週に続く……。

 天月。

 多分打ち込みの緻密さってそろそろどーでもよくなるね。

近田 春夫

最終更新:8/9(水) 17:00
文春オンライン

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