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アフリカから甲子園。おかやま山陽・堤監督の奇想天外な野球ロマン人生

8/9(水) 8:01配信

webスポルティーバ

 春夏を通じ、初の甲子園初出場を果たしたおかやま山陽の堤尚彦監督は、こうしたコラムに登場してもらうには不似合いな人かもしれない。なぜなら、限られた分量の中に書き込みたいエピソードが多過ぎるからだ。

■清宮、安田だけじゃない。「甲子園に出られない」プロ注目のスラッガー

 生まれは兵庫県の加東市。小学4年から東京へ移り、世田谷リトルで本格的に野球を始め、中学生になっても続ける予定だった。しかし、中学1年のとき、現在は内閣府に務める成績優秀な兄をテストの点数で超え、その達成感からか勉強だけでなく、野球からもフェードアウト。エネルギーは“ヤンチャ方面”へ集中していった。

 周りの大人たちを煩(わずら)わせ、家では母と壮絶な攻防を繰り返す毎日。やがて「接触プレーOK。退場しても2分で戻れる。お前の好きなことが合法的にできるぞ!」と、顧問の誘いに乗ってハンドボール部に入部。「右45度のエース」となるも、ヤンチャは続いた。

 一方で、胸のなかにくすぶり続けていた野球への思いは、進学を考えるなかで出会った一冊の本によって火がついた。ある青年監督が、東京の離島にある都立大島高校の監督となって奮闘する様子が描かれた『甲子園の心を求めて―高校野球の汗と涙とともに』(佐藤道輔著/報知新聞社)だ。

 この本に大きな感銘を受け、「自分も都立の高校で野球を……」と、都立千歳(現・都立芦花)に進学。ここからは全身で野球にのめり込んだ。ただ、3年夏は主将を務め、4番を任されるも初戦敗退。静かに高校野球生活を終えた。その後、クリーニング工場で働くフリーター生活を1年し、東北福祉大へと進む。

 当時の東北福祉大は、最上級生に金本知憲(現・阪神監督)や斎藤隆(元ドジャースなど)らが揃っていた黄金期。「自分は選手としてはまったくで、思い出と言えば、10トン車が列をなして運んでくる砂から小石を取り除く作業をひたすらやったこと。そのおかげで腕だけは太くなりました」と堤は笑うが、3年秋に引退勧告を受け、そこからはバイト三昧。そんな日々のなかで、堤の人生は劇的に動き始めていく。

 ある夜、ぼんやりテレビを見ていると、アフリカ大陸南部に位置するジンバブエでボランティアとして野球を教える日本人(同国の野球普及に取り組んだ初代野球隊員の村井洋介氏)と現地の子どもたちとの交流を描いた番組が流れていた。その夏、アフリカの地から日本にやって来た子どもたちが東京ドームでプロ野球を観戦。さらに、海を知らない子どもたちに海を見せようと大島へ寄り、少年野球チームとも交流するという内容だった。そんな番組の最後に、村井の思いが綴られたテロップが流れた。

「道具がない、グラウンドがない、お金がない。そんなことは問題じゃない。最大の問題は、自分のあと、野球を教えに来てくれる日本人がいなくなることなんだ」

 この言葉を目にした瞬間、堤のなかに突き上げてくるような衝動が走った。世界中に野球を広めたい――すぐにテレビ局に電話をかけ、「自分が行きます」と伝えた。その後、JICA(国際協力機構)の窓口を紹介され、手続きを踏み、各種試験を受験した。超難関の狭き門だったが、2度目の挑戦で晴れて青年海外協力隊に合格。その後、福島県の施設で約90日間に及ぶ合宿生活を行ない、備えた。

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