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北鎌倉に並び立つ文化人ゆかりの寺(東慶寺と浄智寺)【鎌倉名刹紀行】

8/9(水) 20:12配信

サライ.jp

文・写真/鈴木拓也

北鎌倉にある東慶寺(とうけいじ)は、「駆込寺」や「縁切寺」として知られているが、その由緒は700年以上前の覚山尼による開山にまでさかのぼる。

覚山尼は、関東の名門・安達家の出身で、執権・北条時宗の正室であるが、時宗公が病を得て出家するときに、ともに授戒を受けて出家した。そして、時宗公が34歳で逝去した翌年の1285年に、東慶寺を開創する。

覚山尼は、夫の暴力に苦しむ女人を救済する寺法を創始、寺に駆け込んで3年寺入りすれば縁を切れることにしたと伝えられる。以降、東慶寺は“縁切りの尼寺”として、多くの不憫な女人を救済してきた。

男女平等の世になると、ここは多くの文士ゆかりの寺として名を馳せるようになる。いわゆる鎌倉文士が、作品の中で東慶寺を描き、数々の文学碑も境内に建てられた。

例えば山門の手前には、夏目漱石参禅百年記念碑が立つ。細かい字で彫られているのは、漱石の随筆『初秋の一日』で、親友の満鉄総裁・中村是公と、この地を訪ねたおりの出来事が記されている。

記念碑を右目に30段ほどの石段を上がると、高浜虚子が「親しみのある門」と評した萱葺きの山門にたどり着く。

山門を過ぎてすぐ左に田村俊子記念碑が立ち、そばには第1回の田村俊子賞を受賞した瀬戸内晴美(寂聴)が植えた2本の桜がある。その隣の鐘楼は、大正5年に神津猛居士が材木を寄進して建立したものだが、神津は、島崎藤村の『破戒』の出版費用を援助したことでも知られる。なお、梵鐘は1350年に補陀洛寺(ふだらくじ)から移されたもの。

道なりに進むと、右手に本堂が見え、やがて松岡宝蔵に至る。ここは、東慶寺の寺宝を展示する宝物館で、伝来の蒔絵、書、絵画など、歴史的に貴重な品々が収められている。

宝蔵を入ってすぐのところに佇んでいるのが、木造聖観音菩薩立像(重要文化財)だ。

像は鎌倉時代後期の作で、もとは太平尼寺の本尊であった。1526年の里見氏の鎌倉乱入の際に奪い去られたが、要山尼が取り戻し、東慶寺の泰平殿に安置されたという。

松岡宝蔵を出て、境内をさらに奥へ進むと、高見順、野上弥生子、小林秀雄、西田幾多郎、和辻哲郎、鈴木大拙、出光佐三ら、歴史に名を遺す文化人や実業家らが眠る墓地が広がる。あたりは静寂に包まれ、ちょこんと安置された名もなき地蔵が、無言で語りかけてくる。小説家の高見順が、作品の構想を練りながらよく散歩したというが、わかる気がする。

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最終更新:8/9(水) 20:12
サライ.jp

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