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歴史学者が語る!「満洲」と「満州」では意味が異なる --- 尾藤 克之

8/9(水) 16:47配信

アゴラ

改憲議論が高まっているいま、過去の歴史に真摯に向き合うことには大きな意味がある。私たちが学校で学んできた歴史とはなんだったのか。この難しい議論について世界史、とりわけユーラシア文明史観から論じることは重要である。

今回は、歴史学者(専門は東洋史)として活動する、宮脇淳子(以下、宮脇氏)の近著『どの教科書にも書かれていない 日本人のための世界史』(KADOKAWA)を紹介したい。日本人が学ぶべき世界史とはどのようなものだろうか。

「満洲」の歴史的背景について

――世界中のどの国においても、自国の歴史には独自の見解や主張が反映されるものである。しかし、日本においてはそれが許されなかった。本記事では、宮脇氏の論説などを交えながら歴史の一部を掘り下げていきたい。

「清の太祖と言われるヌルハチは、1559年、明が建州女直(明末清初に遼東に居住していた女直)に置いた三衛の一つである左衛の一部族長の家に生まれました。1588年、ヌルハチが建州三衛を統一し、これをマンジュ・グルン(国)と称したと言われています。1599年にモンゴル文字を借りて、満洲語の書写しがはじまります。」(宮脇氏)

「俗説に、『満洲(マンジュ)は、文殊菩薩のマンジュシリが語源』というものがありますが、ヌルハチは仏教徒ではありませんし、昔の女直にマンジュという人がいますので、これは史実ではありません。」(同)

――宮脇氏は次のように続ける。

「マンジュという固有名詞を漢字で書いたのが『満洲』です。満洲は、最初は種族名のことで、土地の名前ではありませんでした。1809年に江戸時代の天文学者である高橋景保が作成した『日本辺界略図』では、1689年にロシアと清朝のあいだで結ばれたネルチンスク条約による国境線がはっきり示されています。」(宮脇氏)

「アムール河(黒龍江)を挟んだ清朝領を『満洲』、『ヲホッカ海(オホーツク海)』の対岸を『西百里亞(シベリア)』と記しています。万里の長城の南側は『漢土』とあり、その北方には『蒙古』の文字があります。さらに、それらの文字よりやや大きな字で『支那』と記されています。」(同)

――宮脇氏はこれらの、歴史的な事実から見えてくるものがあると次のように述べている。

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最終更新:8/9(水) 16:47
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