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不運だった超一流助っ人レオン・リーが大洋時代に打ち上げた“花火”【1985年8月10日】

8/10(木) 8:05配信

週刊ベースボールONLINE

 プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は8月10日だ。

 猛虎旋風に沸いた1985年の8月10日、夏休みとあって親子連れでにぎわう広島市民球場にド派手な花火が打ち上がった。主役は大洋移籍3年目の助っ人、レオン・リーだ。

 初回に先発・津田恒実から満塁弾、3回には北別府学から2ラン、締めは新美敏から3ランの1試合3本塁打。安打での1打点を含め、セ・リーグ記録の10打点を打ち立てた。同日14号を打った兄のレロン・リー(ロッテ)も「電話して3本を打てるコツを聞かなきゃ」と、弟の活躍に上機嫌だった。

 しかしながら……この年、レオンは打率.303、31本塁打、110打点をマークしながら、オフに解雇。翌年から加入するローマンを売り込みにきた代理人が、レオンが高額の年俸を要求しようとしているというウソを球団フロントに吹き込んだからとも言われているが、真実は定かではない。

 米球界時代は捕手。バッティングセンスは買われていたが、足が遅かったことでなかなかメジャー昇格ができず、マイナーでくすぶっていた。78年、先に入団していた兄のレロンを通して誘われ、ロッテ入団。いきなり打率.316をマーク。その後、“リー兄弟”としてチームの中軸となって打ちまくり、他球団の脅威であり続けた。

 82年オフ、突然ロッテから、大洋に移籍。大洋退団後、86年からはヤクルトに移籍し、1年目から打率.319、34本塁打、97打点の好成績を残している。2年目の87年も、自分を格下とみなす大物助っ人、ボブ・ホーナーの世話役を球団に頼まれ、大きなストレスを感じ、夏場には足の故障で離脱もあったが、打率.300とまずまずの結果を出した。しかし、そのオフやはり自由契約で、そのまま引退。「まだ日本でやりたかった。不完全燃焼だね」と悔しがった。

 日本球界の10年で、通算打率は.308、本塁打268本。在籍した3球団ですべて30本塁打以上を放った。なお、ロッテ時代、よく川崎球場に連れてきていた息子のデレクは、その後、父の夢をかなえ、メジャー・リーガーとして大活躍した。

写真=BBM

週刊ベースボール

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