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【夏の甲子園 名勝負3】太田幸司の熱投!史上初の決勝引き分け再試合

8/10(木) 11:05配信

週刊ベースボールONLINE

連日、熱戦が続く夏の甲子園。『週刊ベースボール』では戦後の夏の甲子園大会に限定し、歴代の名勝負を1日1試合ずつ紹介していきたい。

物議を醸したジャッジ

<1969年8月18日>
第51回大会=決勝
松山商(愛媛)0-0三沢(青森)

 第3回は、史上初の決勝戦引き分け再試合だ。

 1969年、昭和44年大会の決勝。この大会の優勝候補と目され、甲子園出場18回、優勝3回の名門・松山商(愛媛)に対するは、2年連続2度目の夏、エース・太田幸司(のち近鉄ほか)を軸に勝ち上がってきた三沢(青森)だった。

 序盤から終始、試合巧者の松山商ペースで進む。1回二死二、三塁、4回二死二塁、7回二死満塁、8回一死満塁と攻めた。それでも太田は、味方の好守にも助けられ、無失点で切り抜ける。対する松山商のエースは井上明だ。絶妙なコントロールで三沢打線を封じ、0対0のまま延長戦となった。

 延長戦に入り、太田のストレートが走り始める。「体がしんどいから体に力が入らない。でも、ものすごいボールが行っているのが分かった。あの球は、プロに入ってからも投げられなかった」と、のちに振り返っている。

 三沢打線も15回裏、ようやくチャンスをつかんだ。先頭の菊池弘義が左前打で出塁すると、続く高田邦彦の犠打が松山商守備陣の失策を招き、一、二塁。七番・谷川義彦が犠打を決めた後、滝川哲を敬遠し、一死満塁となった。

 打席には九番の立花五雄。スクイズを警戒する松山商バッテリーは、ここで2球を外す。サヨナラ負けの危険がある満塁の場面だが、それだけ井上の制球力に自信があったということだろう。しかし、3球目はストライクを狙うも外れ、0ストライク3ボールとなった。

 この絶体絶命のピンチで1球ストライクを取った後、4球目だった。低めに外れたかに見えたが、球審・郷司裕の右手が上がる。のちのちまで物議を醸すジャッジとなった。

 フルカウントから立花が放った低いライナーが井上の右横に。井上が瞬時に反応し、グラブに当てた打球が遊撃手の前へ転がる。すぐさま本塁に投じフォースアウト。続く八重沢憲一(のち東映ほか)の中飛でチャンスはついえた。

 しかし16回裏、再び三沢打線が一死満塁のチャンスをつかむ。打席は六番の高田だ。2-2からスリーバントスクイズのサインが出たが、松山商ナインはそれを見抜いていた。外角高めの外した球に高田のバットが届かず三振、さらに三塁に送球し、飛び出していた走者がアウトになった。

 結局、18回を終え、0対0の引き分け。4時間16分のゲームで井上は232球、太田は262球を投じた。

 翌日の再試合はあっけなかった。初回に松山商の樋野和寿がいきなり2ラン。4対2で松山商の勝利となった。ロシア人とのハーフで甘いマスクの太田は、試合を重ねるごとに人気を高めていたが、この決勝での敗者の悲劇性もあり、人気が爆発。「コーちゃんブーム」は、野球界を超える社会現象となった。

写真=BBM

週刊ベースボール

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