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実は「無能」ではなかった? 開戦時の首相・東条英機

8/10(木) 16:24配信

日経BizGate

「プロの軍人」として優秀さを発揮

 終戦から今年で72年。なぜ日本が無謀な戦争を行ったかの問いに対しては、今もさまざまな研究が続けられている。特に大陸進出・対米戦争を主導し、戦前における最大の政治勢力であった「日本陸軍」の分析は、現代の企業経営などにも通じるヒントがいくつもありそうだ。当時の陸軍トップだった東条英機首相(陸軍大将、1884~1948)に関する最新分析の成果を、戸部良一帝京大教授の「自壊の病理」(日本経済新聞出版社)から探った。

 東条首相は太平洋戦争(1941~45)開戦時の首相・陸相・内相を務め、開戦後には軍需相、後には陸軍参謀総長も兼任した。このため戦後はA級戦犯として極東軍事裁判で裁かれ、現在も日本敗戦の悲劇を招いた張本人、無能な独裁者と語られることが圧倒的に多い。しかし今日では無能どころか優秀な実務型指導者だという評価が出てきている。独裁的でもなかった。ただ戸部教授は「逆にリーダーシップと戦略ビジョンが欠けていたことが重大な欠陥だった」と分析する。

 東条が極めて優秀な軍務官僚であったことはよく知られている。会議では3つの手帳を使ってメモを作成し、的確な示唆や質問を投げかけ「カミソリ東条」の異名を取った。部下からの報告をよく聞き、全ての文書に目を通して翌朝までに決済したという。週に何度かは陸相官邸で執務し、参謀総長を兼任した時は「大本営の事務が早くなった」との逸話が残ったほどだった。無用の来訪客と夜の宴会は極力避け、毎日夜の12時近くまで仕事を続けた。日曜日の午前中も首相官邸で書類整理するなどしていた。もし対米戦争という非常事態でなければ「東条は十分に政治指導が可能であったかもしれない」(戸部教授)。

 実務処理だけでなく、軍事面でも首相時代の東条は「客観的・的確で、現役プロ軍人としての識見がよく反映されていた」と戸部教授は評価する。戦場の指揮官としては関東軍参謀長時代、対中戦争初期に通称「東条兵団」を率いてチャハル作戦を戦った。太平洋戦争では現実的・合理的な判断を見せた。米本土への上陸などの完全勝利は不可能と見定めており、目標を米国の戦争継続の意志をくじくことにおいた。

 真珠湾攻撃やマレー攻略など初期の連戦連勝後には、資源の確保と戦線の整理を図って「長期不敗態勢」の構築を目指した。さらにガダルカナル戦線での徹底抗戦に疑問を示し、多くの犠牲を出す前にインパール作戦中止の判断に傾いた。ただ示唆や質問の投げかけにとどまり「自ら積極的にリーダーシップを果たすことはなかった」と戸部教授は指摘する。そのため作戦中止の判断が遅れ、戦況の悪化で戦地の犠牲が増えていった。軍事問題は政治から完全に独立しているという「統帥権」が制度的に確立していたためだ。

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最終更新:8/10(木) 16:24
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