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ブレットとミスター・ヒトの再会――フミ斎藤のプロレス読本#064【WWEマニア・ツアー編エピソード4】

8/10(木) 8:50配信

週刊SPA!

 199X年

 ミスター・ヒトさんの奥さまは、「JRだったら玉造(たまつくり)から来ればいいわ」と教えてくれた。ヒトさんご夫婦が経営するお好み焼き屋さん“ゆき”は、天王寺区空堀町というところにあった。

 もうリングには上がっていないのだから、ヒトさんという呼び方は正確ではないかもしれない。本名は安達勝治。旧日本プロレス末期の1972年(昭和47年)にアメリカ武者修行に出て、そのままカナダ・カルガリーに定住した国際派レスラーである。

 日本に帰ってきたのはごく最近で、お店をはじめてからはまだ3カ月ちょっとしかたっていない。大阪は安達さんのホームタウンで、お好み焼きの“ゆき”は安達さんがお姉さんから引き継いだものなのだという。

 長いあいだカルガリーでのんびりと暮らしてたから、50歳を過ぎてからまた日本に帰ってくることになるなんて思ってもみなかった。もう独立したふたりの娘さんたちは、いまでもカナダに住んでいる。

 “ヒットマン”ブレット・ハートは「アダチ先生に会いにいく」といってほほ笑んだ。ブレットと安達さんの出逢いは、いまから15年ほどまえにさかのぼる。

 “カルガリーの父”スチュー・ハートのブッキングで米中西部カンザスからカナダに北上してきた安達さんは、そのレスリング技術を高く評価され、いつのまにか新人レスラー育成の専任コーチというポジションについた。

 大学を中退してプロレスを選択したブレットは、安達さんのお気に入りのヤングボーイになった。ブレットの父スチューがカンパニーのボスだったから、過保護に育てようとすればそうすることもできたかもしれないが、安達さんはあえてジャパニーズ・スタイルの猛ゲイコでルーキーだったブレットをしごいた。

 ブレットのスパーリングの相手は、安達さんのタッグ・パートナーだったミスター・サクラダ(ケンドー・ナガサキ=桜田一男)。だいたいの場合、じっさいに技をかけるのはサクラダの仕事で、安達さんはディテールを指導した。ミスター・ヒトはグッド・バランスを大切にした。

 お客さんが15人も入れば満席になってしまう“ゆき”を訪ねてきてくれたブレットの顔をしげしげとながめて、安達さんはうれしそうに目をほそめた。

 大阪に帰ってきてからはあまり使う機会がないから、なかなかうまいぐあいに英語が出てこない。でも、ハートとハートはしっかりつながっているからなんでも話せる。

「プロレスのことをちょっとでも知っている人だったら、WWEでチャンピオンになるってことがどういうことなのか、わかるでしょ」

 そういうと、安達さんはブレットに向かって「アイム・ソー・ハッピー I’m so happy」と伝えた。ブレットも安達さんの目をしっかりとみつめていた。

 カルガリーのスタンピード・レスリングの本拠地パビリオンのリングで安達さんにレスリングを教わっていたころのブレットは、まだ学生っぽさが抜けない21歳で、いちばん下の弟――やがて“カルガリーの天才”と呼ばれることになる――オーエンはまだ中学生。安達さんは、昭和天皇ヒロヒトの“ヒト”を拝借したミスター・ヒト様だった。

 “ゆき”の店内のあちこちにはカルガリーの香りがちょっとずつ散りばめられていた。いちばん奥のテーブルの上に無造作に置かれたアルバムのなかには、1988年のカルガリー冬季オリンピックのころの写真がきれいに収められていた。

 スピードスケートの銅メダリスト、黒岩彰選手のプライベート・フォトがあったり、橋本真也とリッキー・フジと笹崎伸司のめずらしいスリーショットなんかもある。たぶん、安達さんご夫婦の心はまだ半分くらいはカルガリーのほうを向いている。

 ミスター・ヒトとしてやり残したことがあるとしたら、それは日本のリングでちゃんとした引退試合をやっていないことだ。

 安達さんがリングのまんなかに立って10カウントのゴングが鳴らされるときは、かつて安達さんにお世話になった何10人もの日本人レスラーたちがそこに集い、北国カルガリーの同窓会になるだろう。でも、いまのところその予定はない。

 安達さんは、まだまだしゃべりたいことは山ほどあるという顔をしていた。

 ブレットは、また静かにほほ笑んだ――。(つづく)

※文中敬称略

※この連載は月~金で毎日更新されます

文/斎藤文彦 イラスト/おはつ

日刊SPA!

最終更新:8/10(木) 8:50
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