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71歳の智弁和歌山・高嶋監督は通算63勝でも「結果を出すしかない」

8/11(金) 8:30配信

webスポルティーバ

ベテラン監督3人の「甲子園物語」・前編

 8月4日に行なわれた抽選会。組み合わせが決まると49代表校の監督、主将は別室へ移動し、囲み取材が始まった。西谷浩一(大阪桐蔭)、馬淵史郎(明徳義塾)、鍛冶舎巧(秀岳館)、我喜屋優(興南)......。さすがは夏の甲子園らしく役者が揃うなかに、ひと際大きな存在感を放つ超ベテラン監督たちもいた。

【写真】印象に残る甲子園の敗者たち

 71歳・高嶋仁(智弁和歌山)、73歳・阪口慶三(大垣日大)、76歳・大井道夫(日本文理)。古希を過ぎてなおグラウンドに立ち続ける3監督だ。

「『70代の監督が3人いますが、どうですか?』と言われてもなあ......」

 そう苦笑いを浮かべた高嶋だったが、こうも言った。

「まあ、ようこれだけ長いことやってきたな、というのはあるけどな」

 長崎県の五島列島出身の高嶋は、長崎海星時代の2、3年時に夏の甲子園へ出場。特に2年時の入場行進で味わった感動が指導者を志す大きなきっかけとなった。そのためには大学で教職を取らなければならない。しかし実家の経済状況は厳しく、すぐには言い出せなかった。

 ところがある日、息子の夢を知った母が「お金のことは心配せんでええ」と言ってくれた。高嶋も1年間、五島へ戻り進学資金の足しにとアルバイトをしたが、何より心に残っているのは母への思いだ。

「高校へ行くときも五島から出るというので働いてくれて、大学のときもお袋の妹がやっていた洋装店を手伝って費用を工面してくれた。本当に感謝しかないし、そんな思いをしてまで野球をさせてもらったんやから、辞めるなんて絶対にできんという気持ちやったんです」

 日体大に進んだ高嶋は1年春からリーグ戦出場を果たすが、上級生からの“当たり“もきつかった。それでも、心が折れることも、逃げることもなかった。

「上級生が『正座せえ!』と2時間ぐらい座らされるなんていうのはしょちゅうやったけど、そんなのは全然平気。正座しながら、『お前ら、こんなんしかできへんのか。野球で勝負せえよ。お前らなんかには絶対負けへんからな』と思っていました」

 野球に懸ける思いが、ほかの部員とは違っていた。オフになると1年分の生活費を稼ぐため、深夜の測量など体を酷使するアルバイトに励み、4年間を乗り切った。

 大学卒業後、晴れて教員となり、1970年春に赴任したのが智弁学園(奈良)だった。2年前に甲子園出場を果たすと部員が急増し、若手のコーチを探していたのだ。

 当初は3年契約で、あとは「長崎に戻って......」と考えていた。しかしそうはならず、3年目に監督に就任。すると高代延博(現・阪神コーチ)がキャプテンを務めたチームで、春の近畿大会に出場。幸先はよかったが、夏は初戦(2回戦)で敗れ、その後も1回戦、2回戦敗退を振り返した。

 その間、高嶋は理事長の藤田照清に3度も辞表を提出。だが、その都度「こんなもん書く暇があったら練習せんか。勝ったらええんや!」と破り捨てられた。今となっては親心を感じさせるエピソードにも聞こえるが、高嶋は「あの人の頭には優勝しかなかったんよ」と言い、相当なプレッシャーがあったと振り返る。

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