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【キセキの魔球06】砕けた右腕。

8/12(土) 17:05配信

週刊ベースボールONLINE

2017年6月19日。大家友和は現役引退を発表した。日米を股にかけて活躍した右腕だが、もしナックルボールと出合っていなければ41歳まで野球を続けることはなかっただろう。どこまでも野球と愚直に向き合った大家とキセキの魔球を巡る物語──。

野球選手で見たことのない症例

 事故が起こったのは、2004年6月10日、カンサスシティー・ロイヤルズの本拠地カウフマン・スタジアムで行われた対モントリオール・エクスポズ戦のダブルヘッダー2試合目だった。2対0とエクスポズのリードで迎えた3回裏、ロイヤルズの攻撃二死の場面、打順は2巡目に入り、二番打者カルロス・ベルトランが打席に入った。

 この日のエクスポズの先発は、大家友和。1打席目はレフトフライに打ち取り、2度目の対戦はフルカウントに追い込み、7球目を投じた。

 ベルトランが打った。

 打球は物凄い勢いで大家に向かって襲いかかった。一瞬の出来事に避ける間もない。打球は右手首を直撃。場内が凍りついた。打ったベルトランは一塁へ向かって走っていく。大家はその場に崩れ落ちるかと思われた。右腕は陥没していた。

 ところが何を思ったか、彼はおもむろに転がったボールに近づいていった。

「拾わなきゃ……」

 野球選手の性なのだろうか、子どものころから染み込んだ習性がこんなときにも顔を出す。だが凹んだ右腕には力が入らず、左手のグラブに右手を添えてボールをすくい上げ、そのまま下手投げで一塁へトスしようとした。だができなかった。

 手首の骨はバラバラに砕けていた。専門医は、野球選手の症例では見たことがないと言った。2日後、フロリダで緊急手術を受けた。観血的整復固定術、いわゆるORIFと呼ばれる術式で、皮膚を切開し、骨のズレを直して整復してから、挿入した金属のプレートをボルトなどを使って皮下で骨を直接固定するものだ。術後、患部の腫れがひどく、出血も続き、1週間の入院中に4度手術を重ねた。二の腕には約20センチの深い傷跡が残った。

 2004年、それはまさに彼がスターダムに上り詰める只中だった。

 2001年7月にボストン・レッドソックスからエクスポズに移籍すると、大リーグの先発として場数を踏み、渡米直後から着手していた2シームも精度を高め、翌2002年は開幕と同時に2シームを積極的に使っている。

 キャッチャーのマイケル・バレットは要所、要所で大家に2シームを要求した。

「トモの2シームは、調子がいいときはこのチームでいちばんいいね」と、バーネット。

 2002年は192.2イニングを投げて13勝8敗、防御率は3.18。2003年はさらにイニング数を伸ばし、199回、10勝12敗、防御率4.16と、2年連続2ケタ勝利を挙げた。2004年、事故が起こる直前の5月、5試合に先発して3勝0敗、防御率1.51の成績でエクスポズの月間MVPに選ばれている。

 すでに大家友和は押しも押されもせぬ本物のメジャー・リーガーになっていた。

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