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【カープアカデミー物語05】ロビンソン・チェコの大ブレーク

8/13(日) 17:05配信

週刊ベースボールONLINE

1990年、広島が選手育成のためにドミニカ共和国に開校したカープアカデミー。後にメジャーで活躍したソリアーノら多くの選手を輩出した。今年、育成から支配下に昇格したバティスタ、メヒアも同アカデミーの出身で、再び注目を集めている。連載「カープアカデミー物語」で、その歴史をたどる――。

帽子のひさしには「EL HURACAN」の文字

 1995年はドミニカ共和国のカープアカデミーにとって大きな飛躍の1年となった。

 2月24日、ロビンソン・チェコ投手、フェリックス・ラミーレス投手と選手契約。3月6日には支配下登録した。チェコにとっては、3度目の支配下となる。92、93年にも選手登録されたが、故障もあって一軍登板はなし。94年は台湾・時報でプレーし、7勝11敗をマークして広島と再契約となった。今度こそは、の思いは当然あっただろう。

 チェコは、オープン戦から好投を見せ、4月12日の阪神戦(甲子園)で一軍初登板を初先発、しかも無四球完封勝利で飾った。147キロの速球にスライダー、チェンジアップを駆使し、被安打4、奪三振9。「気持ちで向かっていくことだけを考えた。もっと暖かくなれば155キロは出るよ」と試合後、胸を張った。

 以後は完全に先発ローテに定着。“カリビアン・エクスプレス”と呼ばれ、3ケタの背番号106、腰を落とし、ギターを弾くような独特のガッツポーズでも話題となった。当時、チェコの帽子のひさしに書いてあったのが「EL HURACAN」(ハリケーン)の文字だ。

「ハリケーンはすべてのものを全滅にしてしまいますよね。ボクも相手のバッターをすべて吹き飛ばす、そんな願いを込めて書いています。これからドミニカ第1号として頑張りたい。ドミニカには貧しい子どもたちがたくさんいます。僕は野球を有名になって援助したい」

 のちの騒動を考えると、やや物騒にも響く前半部分の言葉ではある……。

 ファン投票でも4位に入り、オールスターに監督推薦で出場。7月26日、広島市民で行われた第2戦で先発。母国・ドミニカ共和国の英雄・フランコ(ロッテ)を打ち取り、大満足の様子だった。

 次回は“鯉の穴”とも言われた二軍在籍のアカデミー選手について紹介する。

<次回へ続く>

写真=BBM

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