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故郷アズベリーパーク――フミ斎藤のプロレス読本#066【バンバン・ビガロ編エピソード1】

8/14(月) 8:50配信

週刊SPA!

 199X年

 バンバン・ビガロは、頭のてっぺんに炎のタトゥーを彫った怪物レスラーである。ニックネームは“ザ・ビースト・フロム・ジ・イーストThe Beast From The East(東海岸の野獣)”。

 バンバンBam Bamは“ドスン”“ガツン”を意味する英語の擬音で、正確な発音は“ベームベム”。ラストネームのビガロは、映画監督キャスリーン・ビグローと同名だが、日本ではビガロというカタカナ表記が定着した。

 1961年、ニュージャージー州アズベリーパーク出身だが、そのプロフィルにはいくつか“空欄”がある。

 ハイスクール時代はレスリング(フリースタイル)で活躍し、1978年と1979年に2年連続で地区大会に優勝。のちにオリンピック4大会(ロサンゼルス-ソウル‐バルセロナ-アトランタ)連続出場を果たし、金メダルを2回獲得したブルース・バウムガートナーと対戦したこともある。

 しかし、ハイスクールをドロップアウトしてバウンティー・ハンター=賞金稼ぎに“転向”。バウンティー・ハンターは日本にはない職業で、指名手配中の容疑者や執行猶予中にゆくえをくらました仮出所者などを捕獲するヤバイ仕事だ。

「素手のケンカでそいつらをとっつかまえてくることもあったし、銃を持たなければ危なくて入っていけないところにも足を踏み入れた」

 19歳のときにメキシコで銃撃戦に巻き込まれ、2年間、刑務所に服役した(とされる)。その後、ニュージャージーでも傷害事件を起こし、9カ月間、塀のなかにいた(とされる)。こういったエピソードは、どのあたりがファクトでどのあたりがファンタジーなのかわかりにくい。

 ラリー・シャープ主宰のレスリング・スクール“モンスター・ファクトリー”でレスリング・ビジネスの基礎を学び、1985年8月、ニューヨークのディスコ“スタジオ54”のイベントでプロレスラーとしてデビューした。

 ビガロのプロレスラーとしての初舞台をプロデュースしたのは、当時、“スタジオ54”で“黒服”として働きながらプロレスのミニコミ誌を制作・編集していた若き日のポール・ヘイメンだった。

 ビガロはテネシーCWA(ジャリー・ジャレット派)、ダラスWCCW(ワールドクラス・チャンピオンシップ・レスリング=フリッツ・フォン・エリック派)を転戦後、1987年1月に初来日。デビューから1年半という短期間で新日本プロレスのトップ外国人選手のポジションをゲットした。

          ☆               ☆

 ニューヨークからアズベリーパークまでは1時間ちょっとのドライブだった。ハドソン河を渡ってニューアークに入ると、ニュージャージー・ターンパイク高速道路がみえてきた。

 ここからフリーウェイに乗って45分ほど走れば、ビガロが暮らすアズベリーパークまで行ける。「聖ガーデン公園通りの出口に来たらそのまま南に向かうんだぞ」とビガロは教えてくれた。

 フリーウェイの両側はどこまでもつづく森林地帯だった。ついさっきまでニューヨークにいたことが信じられないような田園風景だ。ニューヨークが東京なら、アズベリーパークはちょうど千葉のはずれあたりなのだろう。

 大都会からは近いような遠いような不思議な距離だ。こんなところで道に迷ったらどうしよう。なんだか心細くなってきた。

 アズベリーパークは、雨があがったあとの虹のような色の町だった。この日は大きな青空のすぐ下にグレーの雲がかかっていた。

「6月まではずっとこんな感じだよ。天気がよかったら釣りかダイビングに連れていってやるのにな」

 ビガロの住んでいるコンドミニアムから2、3分歩くともう海だ。防波堤にそってジョギングする人たちの姿がみえる。イーストコーストだから、あたりまえのはなしだけれど、目のまえに広がっているのは大西洋Atlantic Oceanだ。

 ヒガロの家はにぎやかだ。奥さんのデイナさんと2歳になるシェーンくんのほかに、愛犬カブキと小鳥がいて、いまは4月の復活祭Easterの卵さがしで活躍してもらうウサギも2匹いて、玄関のすぐよこには大きな金魚鉢が置いてある。

 音楽が大好きなビガロは、これだけの騒音のなかにいて、さらにステレオのボリュームを上げてハードロックを聴いている。それも心地よさそうにカウチに寝そべりながらだ。やっぱりここはホーム・スウィート・ホームである。

「まあ、くつろいでくれ。ランチを食べたらそのへんを散歩しよう」

 それはいいアイディアだ。リビングルームに座り込んで、デイナさんに気をつかってもらうのは申しわけない。それにこの町のことをもっと知ってみたい。

「ねえ、スコット、お客さまをジーンのところへ連れていってあげたら?」

 ビガロの本名はスコットだ。家のなかでは奥さまがボスのようだ。ジーンさんとは、ビガロの頭に彫り物をしたタトゥー・アーティストらしい。どんな人物なのだろう。

 ビガロが運転する4WDのトラックで町のなかを走っていると、すれちがう車のほとんどがクラクションを鳴らしていく。こちらに向かって手を振る子どもたちもいる。

「この町じゅうの人たちがオレを応援してくれてるんだ。アズベリーパークから出た成功者はブルース・スプリングスティーンとオレだけなんだとさ。トム・クルーズ、ジョン・ボンジョヴィ、ジャック・ニコルソンなんかがとなりの町の出身なんで、みんなカリカリしてるんだ」

 トム・クルーズ? ボンジョヴィ? ジャック・ニコルソンだって? なんなんだろう、この町は。スプリングスティーンとビガロだけだって?

「成功するためにはな、この町から出なくちゃいけねえんだ。なあ、ニューヨークなんてそぐそこじゃねえか」

 車はあっというまに裏通りのタトゥー・パーラーのまえに着いた。看板には“ボディー・アート・ワールド”と記されている。

 オーナーのジーンさんが出迎えてくれた。両腕、両肩、首の両側(たぶん背中もおなかも)にさまざまな模様のタトゥーがびっしりと彫られているけれど、コワい感じではなくて、やさしそうな目をしている。年齢は40代後半から50代前半くらいだろうか。どちらかといえば芸術家タイプなのだろう。

 ビガロがこのショップで初めてタトゥーを彫ったのは16歳――ビガロのコメントによれば――のときだった。どう考えても、フツーの高校生ならそういうことはしないだろうけれど、スコット少年はいきなりひとりでジーンさんを訪ねたのだという。

 アルバイトをしてお金を貯めては、数カ月にいちどずつここへ来て、アートの数を増やしていった――。ビガロとジーンさんはかれこれ15年くらいの付き合いになる。

「日本では入れ墨はマフィアのシンボルみたいなもんなんだろ。こっちでは、あくまでも体のアクセサリーなんだぜ」

 ビガロは、イーストコーストのタトゥー・カルチャーをできるだけわかりやすく解説してくれようとした。ビガロのよこでニコニコしていたジーンさんは、ビガロがマフィアという単語を出したとたん“プッ”と吹き出した。

 たしかに、両腕に碇(いかり)の入れ墨があるポパイはセーラーマンであってマフィアではない。頭のてっぺんに彫った炎のタトゥーがビガロになんらかのパワーを与えていることは事実なのだろう。

 “ボディー・アート・ワーク”を出て町の中心まで来ると、ビガロが「“ストーン・ポーニー”に寄っていこう」といい出した。

 “ストーン・ポーニー”という酒場は、ビガロがプロレスラーになるまえにバウンサー(用心棒)として働いていたところで、毎晩のようにライヴバンドの入るにぎやかなお店だ。その夜は、元イーグルスのジョー・ウォルシュのライヴがあるという。

 一瞬、耳を疑った。こんなちいさなライヴハウスで本物の“ホテル・カリフォルニア”が聴けるかもしれないのだ。ジョー・ウォルシュは、1970年代のスピリットを布教してまわるロックの伝道師である。

 真っ昼間からビールを飲まされたせいか、いちどにいろいろなものを目撃しすぎたせいか、頭がボーッとしてきた。

 アズベリーパークはイーストコーストのちいさな港町。「成功したければ町を出ることだ」とビガロは語った。

 ニューヨークは、近いような遠いようなビミョーな距離だ。乾いた潮の空気が顔にぶつかった。(つづく)

※文中敬称略

※この連載は月~金で毎日更新されます

文/斎藤文彦 イラスト/おはつ

日刊SPA!

最終更新:8/14(月) 8:50
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