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夏の甲子園優勝投手が放った最後の輝き【1964年8月18日】

8/18(金) 8:05配信

週刊ベースボールONLINE

 プロ野球の歴史の中から、日付にこだわって「その日に何があったのか」紹介していく。今回は8月18日だ。

 甲子園優勝投手は、なかなかプロで大成しないと言われる。

 プロ通算83勝、中京商時代の1954年夏の甲子園優勝投手、中山俊丈(義朗)は十分成功者の部類に入るとは思うが、入団2、3年時を思えば、物足りない数字でもある。

 55年、地元球団中日に入団した左腕は、1年目こそ4勝だったが、2年目の56年から快速球を武器に、2年連続20勝。特に巨人戦に強く、“巨人キラー”とも言われた。

 しかし58年の11勝を最後に急失速。61、62年は2年連続0勝に終わった。ここから腕をサイド気味に下げ、技巧派に転じたことで復活。63年は9勝を挙げているが、大記録を達成した64年は7勝を挙げるも現役引退を翌年に控えたシーズンでもあった。

 8月18日の巨人戦(中日)だった。5月19日以来巨人戦の勝ち星に見放され、7連敗を喫していた中日は、往年の巨人キラー・中山を1カ月半ぶりの先発マウンドに送った。

 中山は、スピードを殺した変化球を低め低めに集める丁寧なピッチングで、三番・長嶋茂雄、四番・王貞治の巨人強力打線相手に凡打の山を築く、打線も好投の中山に応え、5回に中暁夫がタイムリー、8回にはマーシャルの本塁打などで2点を加え、3点。結局、ノーヒットノーランで3対0の勝利。際どい当たりと言えば、初回、結果的に三塁のエラーとなった長嶋のセーフティーバントくらいだった。

 試合後の中山は記者に、「あれ、きょうは何対何やったかな」とポツリ。果たしてこれ、興奮して本当に分からなかったのか、ベテランらしいジョークだったのか。

 翌年は0勝2敗で引退。まさに最後の輝きだった。

写真=BBM

週刊ベースボール

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