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今知る、震災市長のリーダーシップ

9/7(木) 16:00配信

Japan In-depth

【まとめ】

・福島県相馬市長立谷秀清氏が手記を上梓、震災直後の取り組みが明らかに。

・立谷市長は震災当日夜「仮設住宅の為の土地、双葉郡からの避難者の受け入れ」を迅速に指示した。

・医療では内部被曝検査、土壌汚染検査、住民健診など住民目線に立った施策も実施、外部移住者を増やした。

8月1日、立谷秀清・福島県相馬市長が『東日本大震災 震災市長の手記―平成23年3月11日14時46分発生』(近代消防社)という本を出版した。

災害対策に関心がある方には、ご一読を勧めたい。

立谷氏は医師だ。相馬市に生まれ、仙台一高を経て、福島医大に進んだ。

昭和52年に同大を卒業後、東北大学の内科に入局。昭和58年に立谷内科医院を開業した。この医院は、後に相馬中央病院(一般49床、療養型48床)へと発展する。

立谷氏の政治活動は平成7年に福島県議に当選したことに始まる。

その後、落選。平成14年1月に相馬市長に当選する。現在、4期目だ。

私が、立谷氏と知り合ったのは、震災直後に仙谷由人・衆院議員(当時)に紹介されたのがきっかけだ。仙谷氏からは「相馬市の市長が助けを求めている。私が知る中で、もっとも能力が高い市長の一人だ」と言われた。立谷氏の携帯に電話して、少し話をしたら、仙谷氏の評価が正しいことがすぐにわかった。指示、依頼が具体的で適確だからだ。

後日、相馬市役所の職員から、「震災後の市長のリーダーシップは凄まじかった」と聞いた。震災当日の夜には「棺桶を確保すること」、「仮設住宅のための土地、双葉郡からの避難者を受け入れる住居を確保すること」と指示したそうだ。避難所や食料の確保など、災害時の市役所の通常業務に加え、先を見据えた対策を立てていたことになる。

このことが後日効いてくる。海と山に挟まれた浜通りは狭く、空き地が少ない。相馬市が多くの支援者を受け入れ、仮設・復興住宅を速やかに建設できたのは、立谷市長の英断に負うところが大きい。

震災後、福島を訪問した上海の復旦大学の研究者は「中国では考えられない。大災害が起これば中央政府に「助けてくれ」と叫ぶだけだ。日本の実力は地方自治の強さにある」と感想を述べた。

私も全く同感だ。

立谷市長は「本当に、この街を復興させたいと思えば、歯を食いしばっても前向きな発言をしなければならない」といい続けている。その理由として「銀行は晴れているときに傘を貸して、嵐が来たら取り返しに来る。人も同じだ」と言う。

東日本大震災や原発事故の被害を強調し、政府に援助を求めれば、確かに周囲は同情してくれるだろうが、「そんなに酷いなら、私もここを捨てて、他の土地に移住しよう」と思うだけだ。思惑と反対の結果を招く。

立谷氏は、その代わりに、地域住民の視点に立った多くの事業を主導した。医療に関して言えば、内部被曝検査、土壌汚染検査、住民健診だ。何れも地域住民に個別に対応した。厚労省や福島県が「県民健康調査」という調査研究事業を立ち上げたのとは対照的だ。立谷市長が主導した活動は住民を安心させ、外部からの移住者を増やした。一連の活動は、この本の中で紹介されている。

このような事業を支援した早野龍五・東大名誉教授(原子力物理)、渋谷健司・東大教授(国際保健)は、日本を代表する研究者へとプレゼンスを高めた。当研究室の関係者である坪倉正治医師、森田知宏医師、山本佳奈医師などは現地に移り住み、多くの実績を挙げた。彼らの活躍を見て、多くの若手医師や研究者が相馬地方に入っている。

立谷市長のイメージは、素朴で実直という東北人のイメージとはかけ離れている。私は大阪の商売人に近いものを感じる。なぜ、相馬の地に、このような人材が産まれたのだろう。

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最終更新:9/7(木) 16:00
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