ここから本文です

「洞穴に籠もることしか興味がない」佐山サトルが求める“核心”とは【最強レスラー数珠つなぎvol.13】

9/9(土) 8:50配信

週刊SPA!

「最強レスラー数珠つなぎ」――毎回のインタビューの最後に、自分以外で最強だと思うレスラーを指名してもらい、次はそのレスラーにインタビューをする。プロレスとはなにか。強さとはなにか。この連載を通して探っていきたい。

⇒【写真】初代タイガーマスクこと、佐山サトル氏

 8月某日。都内のカラオケボックスに、マイクを持たず、画面を一心に見つめる女性たちの姿があった。時折、「キャー!」という黄色い声をあげる。画面に映るのは、初代タイガーマスク。青のコスチュームと黄色いマントを身にまとい、ステージの真ん中でエルヴィス・プレスリーの「Can’t Help Falling in Love」を歌う。女性たちはその美声に聴き入り、「佐山さんに乾杯!」とグラスを合わせる。レモンサワーは、甘酸っぱい恋の味だ。

 今年2月、私は「佐山女子会」を結成した。きっかけは、『1984年のUWF』(柳澤健著/文藝春秋)。プロレスに憧れ、失望し、それでも新格闘技という道を切り拓こうとする佐山青年は、儚さを帯びたヒーローそのものだった。ああ、佐山さんのすべてが好きだ! 闘いも、見た目も、思想も、歌が上手なところもすべて!

 当時の私は、どん底だった。仕事がない。貯金は底をついた。このままでは飢え死にしてしまう……。佐山さんだけが、心の支えだった。頑張って生きていこう。生きていれば、いつか佐山さんに会えるかもしれない。それだけを夢見ていた。

 夢は突然、叶うことになった。この連載でノアの中嶋勝彦選手が、“最強レスラー”として佐山サトルの名前を挙げたのだ。「へえ、佐山さんですか。意外ですね」と平静を装いながら、私の体は小刻みに震えていた。オフィスを後にした瞬間、涙が頬を伝った。

 こうして私は、憧れの佐山さん、否、「佐山先生」(プロレス界ではそう呼ぶ)に会いに行くことになった。

【vol.13 佐山サトル】

――佐山女子会という会合をやらせていただいております。

佐山サトル(以下、佐山):そうですか。佐山女子会……なんでしょうね、それは。

――佐山先生のことが大好きな女子の会です。

佐山:そんな人いるんですか。そうですか、ありがたいですね。これからも永遠に続くようにやってくださいね。よろしくお願いします。

――私は佐山女子会の会長として、佐山先生の歴史や思想を発信していきたいと考えています。

佐山:なるほど、なるほど。これはプロレスの連載ですよね? ただ、僕の本心というのは、べつのところにあるんですね。だれも僕の本心を知らないんですよ。今日のテーマに合っているか分からないんですけど、僕は一部のプロレスに呆れている。もっと言えば、一部の格闘技にも呆れているわけですね。僕が継承しているストロングスタイルというものがあって、それを推し進めることだけが僕の本心だと思っている人がいるんですけど、そうではありません。

 30年前、修斗を作りましたけども、天覧試合をやりたいとか、相撲のようなものを作りたいとか、精神的なものと共にあるものを作りたかったんですね。それでタイガーマスクを辞めて格闘技の世界に入ったわけですが、若気の至りって言うんですかね。哲学も科学もなにも知らなかったものですから、実現できなかったんです。でも、いまならできるんですよ。そういうことばっかりが、僕の本心なんです。科学的なものとか、本当の強さとはなにか、とかね。いま、その最終段階にいるわけです。

――新たなる格闘技を作ろうとしているのでしょうか?

佐山:格闘技ではないですね。格闘技の精神的なものですね。仏教であったり、儒教であったり、儒教の中にある朱子学であったり、陽明学であったり。グローバル主義の中に流れているものも取り入れなくてはならないし、神道的な普遍的無意識もそうですよね。歴史も大切ですし、精神学も大切ですし、それらを全部まとめなきゃいけないわけです。なにがしたいかと言うと、祠(ほこら)とか、洞穴に籠もりたいんですよ。集中したいんですね。いまやっていることはすべて人に任せて、核心の部分を求めたいんです。

――核心の部分とは?

佐山:例えば、昔の侍は深夜に刀を振って、2時頃になると変遷意識が現われて感覚が鋭くなっていく、というのがあるんですけども。そういうことをしなくても、感覚が鋭くなるというのを僕は把握しているわけです。なんかヘンなことを言ってるみたいですけども、そこを突き詰めていきたい。これがいまの心境なんです。真の武道を作りたいということですね。

――いまの心境に至るまでの、佐山先生の歴史をお伺いしてもよいでしょうか。

佐山:もちろんです。

――18歳のとき新日本プロレスに入団して、憧れのプロレスラーになったにも関わらず、新格闘技を作ろうとされました。その理由はなんですか。

佐山:新日本プロレスでは、プロレスの練習は一切、やらないんですよ。でも、「ガチンコ」というトレーニング方法があって、セメントとも言いますけども、何人かだけが集まって、関節技の練習をするんです。僕は関節技に夢中になりましてね。「俺たちは世界一強い」と思っていました。藤原喜明なんかと、「俺たちって、世界の中でも5本の指に入るよな」みたいな話をしていましたよ。そのくらい、自信を持ってたんですね。

――関節技のどんなところが面白かったんでしょうか。

佐山:科学的なところでしょうね。例えば腕を極めるにしても、一つ一つの技を科学的に考えていく。それがスパーリングで培われていくんですね。

――新格闘技を作ろうと思ったのはなぜですか。

佐山:やっぱり、故郷から出てきた以上ね、簡単には帰れませんから。だったら、本物の格闘技を自分で作っちゃえばいいんじゃないかと思ったんです。本物の格闘技とは、打・投・極。つまり、「打撃に始まり、組み、投げ、そして最後に関節技で極める」ということを、色紙に書いて自分の部屋に貼りました。それがいまで言う、総合格闘技になったわけですね。

――無知で恐縮なのですが、普通の格闘技は、“打・投・極”という順番ではないのでしょうか?

佐山:ええ、順番は狂っても大丈夫ですね。最初からタックルにいく場合もありますし、打撃をかいくぐっていく場合もあるし、大体、それを防いでまた打撃に戻っていきますし。それはバランスが崩れてもいいと思いますね。

――なぜ佐山先生は、“打・投・極”という順番にしたんですか?

佐山:練習するための流れでもあり、宣伝のためでもありました。当時、世間は格闘技というものがまったく分からない状態でしたから。

――新格闘技を作るのではなく、既存の格闘技の選手になろうとは思いませんでしたか。

佐山:思いましたよ。まずは、猪木さんのところに行きました。シューティング・グローブを持っていって、「これを使ってください。新日本プロレスでそういう格闘技をやりませんか?」と。それはいい考えだ、ということになって、「お前を第一号の選手にする」と言われたんです。でも先輩もいるので、内緒にしてたんですね。僕だけ特別扱いになってしまうから。僕だけが選手になるんだと思って、練習していました。

 それが突然、メキシコへ行けと言われて、その後イギリスに行きましたけども、そのときはまだ、「日本に帰ったら格闘技をやるんだな」と思っていました。23歳のとき、タイガーマスクとして帰ってきたわけですが、そのときも「いずれ格闘技をやるんだな」と思っていました。でも爆発的な人気が出てきて、猪木さんもその話はまったくしなくなるし、社会的風潮としても、これはもう無理なんだろうなと思ったんです。

――ならば、自分で新しい格闘技を作ってしまおうと?

佐山:その通りです。ただ、分かってもらいたいのは、当時、対戦相手がいなかったんです。ブラジルの格闘技なんかは知っていましたけど、どういう選手がいるかまったく分かりません。だったら自分が作ってやろうということで、当時26歳くらいですか。僕が50歳になったときに、それが実現すればいいなと思って選手を育てました。30年先を見てたんですね。

――その後、団体内のトラブルもあり、新日本プロレスを退団されます。人気絶頂にあったタイガーマスクをあっさり捨てる形になりましたが、未練はありませんでしたか。

佐山:当時の心境としては、タイガーマスクより、格闘技のほうが大切でした。僕にとっては、メキシコにいてもイギリスにいても、18歳のときから示していたもののほうが大切だったんです。退団したときは、大海に出るような気持ちでしたね。クロレッツのコマーシャルで、金魚が水槽の中からぴょんと出て、大海に跳ねていくのがありますよね。ああいう心境です。これでようやく格闘技ができるんだ、と。

――選手を育てるためにタイガージムを経営しながらも、UWFに入団されたのはなぜですか。

佐山:逆十字で1本極まるというのも、お客さんはわからない時代なんですよ。アキレス腱固めで極まるというのも、分からない。それをみんなに宣伝していくためにあったのが、UWFですね。僕にとって。浦田(昇)さんという社長とは、「UWFをやりながら、新しいスポーツを作っていきましょう」という話をしていました。

――徐々にお客さんの目を、格闘技に慣らそうと試みた。

佐山:まったくその通りです。各格闘技の技術に、チキンウィング・アームロックとか、チキンウィング・フェイスロックとか、ピローアームロックとか、V1アームロックとか、そういう名前を付けていったんですね。お客さんに「これで極まるんだよ」というのを分かってもらいたかったんです。

 修斗をやっていて一番ショックだったのは、全部1本勝ちして1Rで決まったことがあるんですよ。僕は「今日はすごかったな」と言ったんですけど、帰っていくお客さんには「なんだ、早く終わってつまらねーな」と言われたんですね。そういう時代なんです。だから一刻も早く作り上げなければいけなかった。

――UWFのルールを作ったのは、佐山先生ですよね?

佐山:修斗のためのルールを作ったんです。それをプロレスに見せるために変えたのが、UWFのルールです。

――後に新生UWFで、前田日明さんはそのルールをそのまま採用しました。

佐山:修斗のルールとは別物なので、それを使おうとなにしようと、関係ないですね。修斗の選手たちは複雑な心境だったようですが。僕としては、あちらがスターダムにのし上がれば修斗も上がっていけるので、むしろ良いことじゃないかと思いました。ビデオが残っているんだから、いずれわかることだとは思ってましたけど。

――佐山先生が作ったルールを使用したことについて、前田さんは「佐山さんの許可をもらった」とおっしゃっています。本当ですか?

佐山:それは全然覚えてないです。僕にとってはどうでもいいことです。

――前田さんは『1984年のUWF』をきっかけに、“佐山批判”とも取れる発言をされていますが。

佐山:べつになにを言っても構わないです。ただ、「総合格闘技は自分が作った」というようなことを言われると、僕が認めてしまうとおかしくなるので、それは認めないだけの話ですね。なにを言おうと、ビデオが残っていますから。格闘技の世界はいま、目の肥えた人も出てきているので、見る人が見れば全部わかることだと思います。

――時代が佐山先生についてきたんですね。

佐山:僕にとって一番大切なのは、核心をつくことです。洞穴に入ることしか興味がないですね。できそうなんですよ、もうすぐ。なにかを得たいんですよね。釈迦が菩提樹の下で悟りを開いたように。

――修斗では理想とするものが実現しなかった?

佐山:そうですね。僕のイメージでは、相撲のような紳士的なスポーツだったんです。しかしそれらがすべて無視されて、町人拝金主義的なものになっていったというのが実情ですね。K-1が出てきてから、テレビの視聴率が大切だということになるんですけど、それが僕の理想ではないわけです。もっと精神的なものが加わったものを作りたかった。でもいま思うと、当時の自分には無理でしたね。

――佐山先生が代表を務めるリアルジャパンプロレスでは、“ストロングスタイルの復興”を掲げています。「現在の一部のプロレスに呆れている」とおっしゃいましたが、それでもストロングスタイルというものを守っていきたいですか。

佐山:そうですね。やるんだったら、僕らの時代を実現させたい。プライドのあるプロレスと言うんでしょうか。格闘技をやっていなければできないプロレスと言うんでしょうか。そういうものを再現させてあげたいですね。やっぱり、僕らはプライドを持っていましたから。「強さで世界で5番目に入る」とか言ってるんですからね。そんなことを言うくらいのプライドがあったんですね。

 この間、とあるテレビ局の人に「タイガーマスクは飛んだり跳ねたりしていた」と言われて、新間(寿)さんが「タイガーマスクは跳ねてんじゃねーよ!」って怒ったんですよ。ストロングスタイルという基本があって、あのようなスペクタクルな試合があるんだと。それくらいみんな、ストロングスタイルというものにプライドがあるんでしょうね。そういうのがあったから、当時の試合ができていたというのが本当のところだと思います。

――ストロングスタイルとは、どういうものでしょうか。

佐山:勝負とか、ガチンコの基本を大切にしているスタイルですね。「セメント」というのは、すべてのレスラーに毛嫌いされている言葉です。けど、新日本プロレスの根っこはそこなんですよ。それが新日本プロレスの強さだと思います。そこを引き継いでもらいたいなと思いますね。

――この連載では、「強さとはなにか」を探っています。佐山先生が思う強さとは、なんですか。

佐山:反対に、弱さとはなんだと思いますか?

――なんでしょうか……。

佐山:一つには、不安心です。自律神経には交感神経と副交感神経というものがあって、交感神経が上がると精神のバランスが崩れるわけですね。恋愛問題、お金の問題、仕事の問題で崩れることもありますし。いま、いきなりライオンが現われたらびっくりしますよね。それも全部、崩れる要因なんです。これが弱さである、と。

 この弱さを強さに変えていくために、交感神経を下げればいいかというと、それはできないんです。副交感神経を上げていかなければいけないんですね。心理学者というのは、神経言語学とか、あるいは催眠とかで副交感神経を上げます。つまり、弱さを治してしまうんですね。それも強さの原点になると思います。ただ、心理学者は弱さを改善することはできるけども、強さを作ることはできない。それを作るのが、僕らの仕事だということです。

――大変興味深いです。

佐山:脳波には、アルファ波とベーター波などがあります。アルファ波の中に「7.5~13.5」という数字があって、その上にベーター波の「13.5~30」という数字があるんですね。いま、あなたが熱心に僕の話を聞いてくれている姿は、ベーター波の中にあるんです。ベーター波の18くらいだと思いますけども。でも本当に集中力を養えるのは、アルファ波の中の“ミッドアルファ波”という「9~11」の世界。その世界の中で集中波を出していくと、本当の集中力が現われるわけです。

 ベーター波の上のほうの状態になると、ガンマ波というのがあるんですけども、そこまでいくと自律神経を崩してしまいます。フィルターを使って、その状態においても「9~11」の世界を保つことによって、集中力が湧くんですね。そうすると、体だけではなくて、精神的にも強さが現われるわけです。その状態でいかにフィルターを作るかが、一番大切だということですね。

――「核心をつく」ということを、18歳のときにも意識していましたか。

佐山:していませんでした。当時は格闘技をやりたかっただけです。

――いつ頃から意識し始めましたか?

佐山:修斗を創始し、構築している途中からですね。なぜ練習で強くても、試合になると弱い選手がいるのか。その辺りから始まりました。オリンピックにしても、練習では強いのに、試合では力を発揮できない選手がいっぱいいますよね。日本人に多いんですけども、なぜそういう文化なのかということも大切ですし、なぜ日本文化が優れているのかというのも研究の一つです。

――この連載では、最後に次の“最強レスラー”を指名してもらっています。ですが、プロレスラーに限らず、佐山先生が本当に強いと思う人を教えていただきたいです。

佐山:だれでしょうね。……あ、藤原敏男がいた。キックボクシングの藤原敏男が一番強いです。ムエタイのラジャダムナン、ルンピニーに勝ったというのは、ものすごく強いと思います。黒崎(健時)先生に叩き込まれたので、精神面でも強いと思いますよ。すごくいい人間ですし、立派な方だなと思うはずです。

――ありがとうございました。お会いできて、本当に光栄でした。

 佐山サトルは、プロレスラーを指名しなかった。私がそれでもいい、と言ったからだ。「最強レスラーが、最強レスラーを指名する」という自分が決めたルールを、私は自ら破ってしまった。それは私が初めて心から、「強さとはなにか」を知りたいと思った瞬間だった。

 佐山サトルは天才だ。ゆえに、だれからも理解されない。人は、人から理解されないと、どんな気持ちがするのだろう。悲しいのだろうか。誇らしいのだろうか。孤独なのだろうか。佐山サトルはずっと、孤独の中に生きているのだろうか。かつて初代タイガーマスクとして一世を風靡した青年は、60歳を目前にして、「洞穴に籠もりたい」と話す。

 佐山女子会は、永遠に続けよう――。穏やかな笑顔の中に見え隠れする、“佐山さん”の寂しげな瞳を見つめながら、私はただ、そう心に決めた。

【PROFILE】佐山サトル(さやま・さとる)

本名・佐山聡。’57年11月27日、山口県下関市生まれ。’75年に新日本プロレスに入門。メキシコ、イギリス武者修行を経て、’81年4月、タイガーマスクとして衝撃のデビュー。日本中にタイガーマスクブームを巻き起こす。旧UWFで復帰し、その後、総合格闘技「修斗」を立ち上げる。‘99年、新たな武道「掣圏真陰流」を創始し、精神修養のためのセミナーなどを開催。2005年6月、“ストロングスタイルの復興”を掲げ、リアルジャパンプロレスを設立。代表を務める傍ら、日本武道の原点を継承した精神武道「須麻比」を創設し、一般社団法人日本須麻比協会会長に就任。

<取材・文/尾崎ムギ子(@ozaki_mugiko) 撮影/安井信介>

日刊SPA!

最終更新:9/11(月) 16:11
週刊SPA!

記事提供社からのご案内(外部サイト)

週刊SPA!

扶桑社

2017年9月19・26日合併号
09月12日発売

¥420

・負け組[50代]になる人の特徴
・[仮想通貨バブルで儲ける](超)入門
・[騒音トラブル]で殺されない方法
・[安くても美味しい食品]の見抜き方