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日野原重明さんが語ったよど号ハイジャック事件  鈴木邦男

9/20(水) 16:17配信

創

赤軍派の連中は「自爆する」と言明

 さる7月18日に105歳で他界した聖路加国際病院名誉院長の日野原重明さんは、医者としてはもちろん“人生の指南役”としても多くの人に慕われ、ベストセラーも出してきた。
 その日野原さんが本誌09年6月号で鈴木邦男さんと対談し、「よど号」ハイジャック事件の体験やメディアのあり方について語っていた。
 今回、日野原さんへの追悼の思いを込めて、その主な部分を再録する。(編集部)

鈴木 よど号ハイジャック事件が起きたのは1970年。先生が58歳のときですね。体が弱くて、60歳まで生きられないんじゃないかと言われていた先生が、あの事件で人生観が変わって長生きできたとのお話に、「ああ、すごいなあ」と思いました。
日野原 それまでは、自分がどういうふうに臨床家として、あるいはリーダーとして才能を認められるかという、そのために人一倍努力をしたわけ。僕はそういうふうに頑張るところがあったんです。
 でもあの事件で、うっかりしたら死んでいたかもしれない。そういう体験をしたわけですね。もし官憲が、よど号に強行突入をしたら、赤軍派の連中は、ダイナマイトで自爆するとはっきり言っていた。だから彼らと乗客は一心同体だった。赤軍派が助かれば、僕らも助かる。ダメだったら一緒に巻き添えをくって死んでしまう。そういう心理状態のことをストックホルム症候群と言うんです。
鈴木 そのときにもうストックホルム症候群という言葉はあったんですか。
日野原 ありました。その後、あさま山荘の事件があったでしょう。
鈴木 ええ。1972年ですね。
日野原 あの事件のときに連合赤軍の連中は、人質になった女性を、官憲が強行突入した際、安全な死角になる所に置いて守ったわけ。だから犯人が捕らえられて、彼女が解放されたとき、「こんな目に遭わされて、赤軍が憎いでしょう」と訊かれたら、「憎い」という言葉を言えなかった。
鈴木 そうですね。「紳士的だった」と言ってましたね。
日野原 あれは一心同体だから。それがストックホルム症候群。
鈴木 よど号事件の赤軍派の人たちは、人質となった乗客に本を渡した。先生にはドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』が渡されたというわけですね。
日野原 よど号はハイジャックされた後、燃料補給のためといって板付空港(現・福岡空港)に降りて3時間ぐらい待機したんですが、そこで老人や子どもを降ろしたんです。最初日本政府は、もうそこから飛べないようにしようと考えたらしいのですが、そうなったら犯人たちは自爆すると言っていたので、できなかった。そこで韓国に連絡して、騙して韓国で降ろされるように打ち合わせたんです。
 でも夕方になっていよいよ北朝鮮に行くと言ったから犯人たちは喜んでね。朝鮮海峡を渡るときには、もう目的を達したと思って意気揚々としていた。
 乗客は手を縛られてはいたけれど本を読むことはできるから、赤軍派の人たちは、本を読みたい人には渡してくれたんです。赤軍の機関誌とか金日成の伝記とか、伊東静雄の詩集、親鸞。そういうのを持っていた。
鈴木 乗客に選択させたんですか。

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最終更新:9/20(水) 16:47

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