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社長にうっかり「毎日遊んでいる」 1週間後に驚きの辞令 ななつ星のJR九州会長

9/23(土) 12:10配信

NIKKEI STYLE

――丸井から戻って1年。働く舞台は、なんと海。

 九州旅客鉄道(JR九州)の唐池恒二(からいけ・こうじ)会長の「仕事人秘録」。第4回は福岡と韓国・釜山を高速船で結ぶ事業について語ります。
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 「唐池くん、今はどんな仕事をしているの」。1989年2月、本社の廊下で石井幸孝社長に声をかけられました。「営業部販売課で面白いイベントを考えたりして、毎日遊んでいるようなものです」。実際、充実していたのですが、いやはや率直に答えすぎてしまった。1週間後、突然、船舶事業本部企画課長への異動を命じられました。国鉄に入社した鉄道マンがまさかの海を職場とすることに。

 九州とアジアは近い。特に福岡と韓国・釜山との距離は200キロメートルしか離れていません。石井社長は福岡と釜山を高速船で結ぶ構想を描いていたのです。荒れた玄界灘を小さな高速船で行くのは至難の業でした。その実行部隊のナンバー2に選ばれたわけです。正直に答えるのはやめよう。深く反省しましたね。

 とはいえ社命が下ったからには過去を振り返ってばかりはいられません。営業での最後の仕事となった博多と大分・由布院を結ぶ観光列車「ゆふいんの森」の出発日の3月11日が、なんと船舶事業本部の着任日。午前9時からの出発式だけ出席することにし、1時間後には慌ただしく新しい職場に就いていました。

――準備は手探りだった。

 未知の船舶事業ですからトップに経験者を招くことになりました。国鉄時代に四国総局船舶部長などを歴任し、四国旅客鉄道(JR四国)を退社していた大嶋良三部長です。きれいな白髪に品の良い紳士顔。海の男とはかけ離れた風貌ですが、意思の強さは相当なもの。船員の募集や航路の申請など、次々と指示が飛んできました。1年後に博多―長崎オランダ村、2年後に難関の博多―韓国・釜山航路を開く厳しいスケジュール。数カ月以内に国際航路の許可を得る必要があり、無駄な時間はありませんでした。

 韓国側の交渉のキーマンは韓国国鉄の鄭錫烈(チョン・スクヨル)課長。日本語も片言で話すことができ、2~3回ソウルに足を運ぶとすっかり仲良くなりまして。韓国鉄道庁への紹介だけでなく、海運港湾庁などへも親身になって案内してもらえました。

 とにかく私を大事にしてくれました。韓国人しかいないバーに行ったとき、鄭課長が日本人を連れてきたと目を付けられました。韓国人たちとバーの裏に向かったままなかなか帰って来ない。ようやく戻ってきたと思ったら「ケンチャナヨ!(大丈夫です)」と明るい振る舞い。ですが、その顔は赤く腫れていて血もにじんでいました。

 おかげでわずか3カ月で韓国鉄道庁と航路を作る協定書を結びました。ホッとしましたが、さすが海の男も恐れる玄界灘。まだまだ荒波のような問題が襲ってくるのです。
[日経産業新聞2016年4月18日付の記事を一部再構成]

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最終更新:9/23(土) 12:10
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