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元楽天・長谷部康平 球団営業で奮闘する5球団競合のドライチ左腕

10/18(水) 16:03配信

週刊ベースボールONLINE

プロ野球引退後に「野球とは違うことがしたい」と思う人間は少数派。元楽天の長谷部康平はその中の1人だ。大学時代、北京五輪アジア予選メンバーにアマチュアからは唯一選出され、5球団競合のドライチ。そんな華麗な経歴をみじんも感じさせることなく、株式会社楽天野球団の営業本部セールスデベロップメント部に所属する営業マンとしての道を歩み始めている。

お客と野球の楽しさを共有

 現役時代はそれほど体が大きい投手ではなかったが、その胸板の厚さはやはりプロ野球選手の名残りがある。しかし、目の前の長谷部康平は、かつて勝負師だったことを感じさせぬ優しい雰囲気と笑顔を見せ、話し始めた。

 2016年10月1日、長谷部は戦力外通告を言い渡される。だが未練はなかった。2007年の社会人・大学生ドラフトで5球団競合の末、1巡目指名で楽天に入団。しかし、3年目の10年に左ヒザを痛めると、12年には手術。その後、かつての投球を取り戻すことはできなかった。

「左ヒザを痛めてから、状態が良いときと悪いときではパフォーマンスに大きく差が出てしまいました。(投げることを)体が拒否している感じで。悪いときなりの投げ方も何度も模索してきましたが、ある試合でそのどれにも当てはまらず、1つもアウトを取れずに降板したんです」

 体はもうボロボロだった。

「自分の状態次第でチームの勝ち負けを左右してはいけない」

 このころになると必要ないと言われれば、引退する覚悟は決まっていた。

「一度しかない人生、いろいろなことを経験したい。野球以外のことをやってみたい」と考えていた長谷部は、さまざまな人の話を聞きながら漠然とやりたいことが見えてきたという。

「営業をやってきたという人がすごく多くて、話を聞いているうちに、そういうのを経験してみるのもためになるんだろうなと、やってみたいと考えるようになりました」

 そんな矢先、楽天野球団から「営業として働かないか」という話をもらった。

「ほかの会社からもお話はいただいていましたが、9年間お世話になり、野球のことも、楽天のことも知っています。まったく違う場所でイチから覚えるよりは」と楽天野球団に入ることを決めた。すぐに営業職についたのは引退直後の選手の中では長谷部が球団初。「今のうちしかできないかなと。何かを身につけるなら早いほうがいいというのを一番に思ったので」と未知なる挑戦にも臆することはなかった。

 最初に任されたのは年間シートの販売だ。初日のみ上司の営業に帯同させてもらうと、翌日からはひとりで出向いた。空席や料金、特典など覚えることは多い。さらに実際に席に座って球場の見え方を確認しなくては説明もできない。

「すべてを説明できるわけではないので、数あるシートのうちオススメの3つほどを持って行き、お話ししました。ほかのところは? と聞かれれば、『すぐに調べてまたご連絡します』と伝えて」

 分からないことを隠さず、ごまかさず、今できることを全力でやった。それがお客の胸に届き、「毎月のノルマはクリアしていました」と新人とは思えぬほど、営業成績は右肩上がりだった。

 この5月には“異動”も経験。現在は既存スポンサーとのやりとりと、新規スポンサー獲得のために走り回る日々だ。新しい部署で初めての大仕事はレジェンドマッチだった。

「選手としても出場し、運営としても初めてメーンで動きました。このときは達成感がありましたね」

 だが、一番うれしかったのはお客からの言葉だった。

「年間シートを販売しているとき、あまり野球に興味がなかった方、球場まで行って見るということがなかった方たちもいたのですが、実際に買っていただいて、今季、初めて球場に見に行ってくれたんです。そのあとに『こんなにおもしろいんだ』とか、『今日も勝ったね』などとメールや電話をくれたり。半信半疑だった人たちに興味を持ってもらえたということが一番うれしいことかもしれないですね」

 営業での成果ももちろん大事なことだが、野球の楽しさを知ってもらえた喜びはひとしおだった。

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