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ドラフト1位の引き際。あの豪腕投手は、なぜ27歳で引退を決めたのか

2017/10/22(日) 8:30配信

webスポルティーバ

 プロ野球ではドラフト1位の選手が鳴り物入りで入団しながら、プロの厚い壁に跳ね返されることは珍しくない。しかし、2006年ドラフト1位(高校生選択会議)で東京ヤクルトスワローズ入りした増渕竜義は実力が足りなかったわけでも、選手生命にかかわる大きなケガに見舞われたわけでもなかった。プロ1年目に初勝利を挙げ、プロの壁を軽々と乗り越えたはずだった。

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 それでも、プロ9年間で157試合登板、15勝26敗29ホールド、防御率4.36という成績を残しながら、あっさりとマウンドを去った。ドラフト1位の豪腕はなぜ、27歳で見切りをつけたのか? ユニフォームを脱いでから2年、『敗者復活 地獄をみたドラフト1位、第二の人生』(河出書房新社)という書籍で明かされた、早すぎる引退の理由に迫る。

* * *

――増渕さんは2015年シーズン限りでユニフォームを脱ぎましたが、当時はまだ27歳。若すぎる引退でした。一軍の壁を破れずプロ野球から去る者もいますし、肩やひじを壊してユニフォームを脱ぐ投手もいますが、そのどちらでもありませんでしたね。

増渕 自分に自信がなかったというのが一番です。自分が思うようなボールを投げられなくなったから。いろいろと試行錯誤はしたのですが、これ以上続けたら、野球が嫌いになってしまうんじゃないかと考えました。

――しかし、プロに残れる可能性が1パーセントでもあるならば、それに懸けるのがほとんどの野球選手です。後悔はありませんでしたか?

増渕 野球に対して、悔しさはありません。ユニフォームを脱ぐ寂しさもない。精一杯やったので、最後はスパッとやめるつもりでした。だから、トライアウトも受けませんでした。

――増渕さんはプロ1年目に初勝利を挙げ、2年目の2008年には11試合に先発して3勝をマーク。2009年は練習中の打球があごを直撃するアクシデントに見舞われましたが、2010年は57試合に登板し、2勝3敗20ホールド、防御率2.69という成績をおさめ、チームにとって欠かせないセットアッパーに成長しました。

増渕 最初の数年間は、コントロールを気にするあまりピッチングが小さくなっていました。あまりに狙いを小さくしすぎると、自分を追い込んでしまう恐れがある。バッターと戦っているはずなのに、その前に自分で自分を苦しくしてしまっては意味がありません。自分のピッチングができるようになったと思えたのはプロ4年目くらいでしょうか。

 入団したときの僕のセールスポイントは、力のあるストレートでした。でも、コントロールを重視するあまり、スタイルを見失ってしまったように思います。コントロールを考えて140キロしか出ないのなら、多少制球が悪くても150キロのボールのほうがバッターは嫌なんじゃないか。そう感じたのが2010年ごろでした。

――試行錯誤の末に、自分の投球を取り戻したのですね。

増渕 原点を忘れてはいけないということですね。コーチはその選手が少しでもよくなるように足りない部分を指摘してくれるわけですが、自分のことは自分が大事にしないと。セールスポイントをなくしてまで意見を受け入れる意味があるのかどうか、しっかり考えないといけない。もしかしたら、僕は人の意見を聞きすぎたのかもしれません。でも、うまくいかなかったのはコーチのせいではなくて、自分が自分を見失っていたからです。

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最終更新:2017/10/22(日) 8:30
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