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古代ローマの日時計を発見、碑文を解読

11/13(月) 6:40配信

ナショナル ジオグラフィック日本版

2000年前、中規模の町が古代ローマの要職に就く人物を輩出した?

 今から2000年ほど前、ローマ市民マルクス・ノウィウス・トゥブラは、護民官に当選した記念に、故郷の小さな町に日時計を寄贈した。碑銘によると、本人が自費で設置したものだという。

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 イタリア、ローマから南に80kmのリーリ渓谷にあるインテラムナ・リレナスという町の遺跡を発掘していた考古学チームが、古代ローマの政治家が当選記念に寄贈した石灰岩の日時計を発見した。インテラムナ・リレナスは紀元前4世紀に建設された小さな町で、西暦6世紀までに廃墟となったと考えられている。

 日時計のくぼんだ表面には、時刻を表す11本の線と、これらと交差する3本の曲線(夏至、冬至、春分および秋分との近さを表す)が刻まれている。ここに影を落としていた鉄製の柱は、現在はほとんど失われている。

 英ケンブリッジ大学古典学部のアレッサンドロ・ラウナーロ氏は、碑銘の入った日時計が発見されることは非常に珍しく、これは「特別な発見」だと言う。ラウナーロ氏は、同大学のマーティン・ミレット氏とともに2017年の発掘調査チームを率いた。

 日時計の下にはラテン語で「マルクス・ノウィウス・トゥブラ」という名前が刻まれていて、カーブした縁には、この人物が護民官の職にあり、日時計の代金を自費で支払ったという説明が刻まれている。「故郷の町に日時計を寄贈することで、当選を祝いたかったのでしょう」とラウナーロ氏は言う。「町の人々は、日時計を見るたびに、トゥブラの出世を思い出したことでしょう」

 日時計は、当初は町の広場の目立つ場所に設置されていたようだが、発見された場所は、近くの劇場の入口付近だった。考古学者たちは、中世に廃墟になっていたインテラムナ・リレナスから建材を持ち去った人々が置いていったのではないかと考えている。

 日時計は、紀元前1世紀の半ば以降に寄贈されたようだ。このことは、碑銘の文字の様式と第三名の存在から推定される。第三名は、父から子へと受け継がれるニックネームで、紀元前1世紀までは高名な人物の名前にしか見られなかった。ちなみに、マルクス・ノウィウスの第三名「トゥブラ」は、ラテン語で「小さいトランペット」という意味だ。

 ローマ共和国時代の護民官は平民の指導者だった。紀元前27年にローマが共和制から帝政に移行すると護民官の権限のほとんどが失われたが、名誉ある官職として長く存続した。

 考古学者たちは、今回の発見は、古代ローマの小さなコミュニティーに属する市民の政治への野心と関与の解明に役立つものであり、非常に興味深いとしている。

「私たちはこれまで、インテラムナ・リレナスの出身者がローマで重要な役職に就いていたとは考えていませんでした」とラウナーロ氏は言う。「ここは有名でもなく、影響力もない、どこにでもあるような中規模の町でした」

「だからこそ、この町の研究を通じて、古代ローマ時代のイタリアの一般的な都市についての情報が得られる可能性があるのです」

文=Kristin Romey/訳=三枝小夜子

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