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【トレード物語07】トレード通告を拒否して残留した中日・藤波行雄【76年】

11/15(水) 11:06配信

週刊ベースボールONLINE

近年は少なくなってきたが、プロ野球の長い歴史の中でアッと驚くようなトレードが何度も行われてきた。選手の野球人生を劇的に変えたトレード。週刊ベースボールONLINEで過去の衝撃のトレードを振り返っていく。

中日は高木守道二世が欲しかった

[1976年オフ]
中日・藤波行雄、竹田和史⇔クラウンライター・基満男 ※不成立

 このトレードは1976年11月23日、中日が藤波行雄を球団事務所に呼んで“放出”を通告して明らかになった。

 中日側は藤波と左腕・竹田和史を、福岡市に本拠地を持つクラウンライター(現西武)の基満男内野手と2対1の交換トレードすることでクラウンライター側と合意をとりつけていた。

 中日は当時、入団以来17年を過ぎていた名手・高木守道二塁手のあとがま選びが急務とされており、ガッツのある内野手選びが内々に進められていた。それに、まさにうってつけだったのが基だった。

 基はこの前年の75年までの9年間、通算打率は.296で、72年には3割をマークしていた。ことに左右に打ち分ける広角の器用な打撃には“ポスト高木”として一、二番を任すには適任と見られていた。さらにテスト生からはい上がった根性が何よりも中日側の高く買うところだった。

 クラウンライター側では、基が76年の後半、体調を崩していたのと、守りのうまい打てる外野手がどうしても欲しかったことで、中日が藤波を出すなら――と双方ではすんなり話は進んでいた。

「新人王放出」に抗議の電話が殺到

 藤浪はこのときまだ入団3年目。ドラフト1位で入団した74年には新人王のタイトルを獲得した実績を残している。76年も代打が多かったとはいえ、104試合に出場、打率も.260だった。

「オレは中日の将来の主力として着々と力をつけてきている」

 そう信じていた藤波に、突然のトレード通告は目から火が出るほどの驚きだった。このニュースが報道されると、中日ファンも騒然となった。

 藤波は「クラウンライターには絶対に行かない。どうしてもトレードに出すなら引退する」と主張して譲らなかった。藤波は高校野球界の名門・静岡商高から中大を経て中日入りした。“しょうゆ顔”の知的な雰囲気で女性をはじめ、幅広いファン層を持つ特異なプレーヤーだった。

 それにしても藤波のトレードを阻止するファンの動きはすさまじかった。

 球団事務所は連日、抗議の電話でパンクするほど。名古屋市内の繁華街では「藤波トレード撤回」の署名運動まで始まる始末。女子学生を中心に1万人を超える署名が球団事務所に届けられた。

 ことに藤波の出身地である静岡市や浜松市など静岡県内の熱狂的なファンが、親会社の中日新聞社にもトレード中止の強い働きかけをする事態にまで発展する騒ぎになった。

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