ここから本文です

天才バッジョを次々と襲った悪夢と逆風 失意を希望に変え続けたファンタジスタの輝き

11/24(金) 20:20配信

Football ZONE web

【サッカー英雄列伝|No.1】ロベルト・バッジョ(後編)――94年W杯後に始まったデル・ピエロとの物語

 失意の敗戦を喫した1994年、灼熱のアメリカ・ワールドカップ(W杯)を終えた後の元イタリア代表FWロベルト・バッジョのキャリアには、若きファンタジスタが交錯した。当時所属していたユベントスに現れた新たなファンタジスタ、FWアレッサンドロ・デル・ピエロとの関係性だ。

【動画】伊メディア選定「歴代神トラップ弾・ベスト10」 栄えある1位は元伊代表FWロベルト・バッジョが披露した世界最高峰の圧巻スキル

 デル・ピエロとバッジョの間に悪感情があったことは全く伝わっていないが、クラブ幹部の考えは別だった。結局、95年にユベントスはデル・ピエロを選び、バッジョはインテルへの移籍話を進めるユベントスに反発するのかのようにACミランへと移籍した。

 だが、この判断は成功とは言えなかった。ミランではファビオ・カペッロ監督やアメリカW杯で因縁のアリゴ・サッキ監督から重用されず、バッジョは危機感を募らせる。ユベントスでデル・ピエロが華々しく活躍するなかで、下降線に入った選手と見られるようになった。しかし、97年夏にイタリア中部の中堅クラブ、ボローニャに移籍して攻撃の全権を担うと30試合22ゴールと復活。プレーオフにまでもつれ込んだW杯予選には出場しなかったにもかかわらず、翌98年フランス大会の招集メンバー入りを果たしたのだ。

 そしてこのW杯では、バッジョとデル・ピエロの起用法がイタリア全体を巻き込む論争に発展したのだった。デル・ピエロは大会前の最後の公式戦になった、UEFAチャンピオンズリーグ(CL)決勝のレアル・マドリード戦で太ももを痛めていた。一方のバッジョは前述の通り、絶好調で大会に入った。果たしてエースは「10番」のデル・ピエロか、「18番」のバッジョか。結局、当時のチェーザレ・マルディーニ監督は「ローテーション起用」という、イタリアにありがちな政治的起用を決断した。

バッジョが悔やむフランス戦のワンシーン

 初戦のチリ戦は、デル・ピエロの状態を加味してバッジョがスタメンになった。灼熱のアメリカでトレードマークだったポニーテールは切り落とされ、短髪になったバッジョはFWクリスティアン・ヴィエリに絶妙なラストパスを通してゴールを導く。そして、1-2のリードを許した残り5分、右サイドでボールを持ったバッジョはチリDFのすぐ脇を通すようなパスを選択。これがハンドを誘い、PKを得て自ら決めて引き分けに持ち込んだ。「バッジョはわざと相手の手に当てたのではないか」と、まことしやかに語り継がれた。

 続くカメルーン戦もバッジョがスタメン出場し、デル・ピエロが途中交代で出場。第3戦オーストリア戦は、デル・ピエロがスタメン出場してバッジョが途中出場となった。16強のノルウェー戦は、デル・ピエロが先発してバッジョには出番なし。デル・ピエロが動きに重さを見せてノーゴールと本来のパフォーマンスを見せられないなかで、バッジョは軽快な動きでオーストリア戦でもゴールを決めていた。

 大会が進むにつれてデル・ピエロを優先しようという意図が見える指揮官の起用法に対し、結果を残すのはバッジョ。準々決勝で地元フランスと戦う前に、論争はさらに激しさを増し、バッジョのエース起用が待望されるようになっていた。

 それでもフランス戦で先発起用されたのはデル・ピエロ。両チームにゴールなく進んだ後半の半ば、タッチライン際に背番号18が立つと、交代ボードに示された番号は「10」だった。イタリアの期待を背負ってピッチに入ったバッジョが悔やんだのは、延長戦に訪れたビッグチャンスだった。

1/3ページ

最終更新:11/24(金) 22:24
Football ZONE web

記事提供社からのご案内(外部サイト)

Football ZONE web

fangate株式会社

日本代表や欧州各国リーグなど、国内外のサッカー情報を毎日更新