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高校3年間ベンチ外からドラフト3位。ヤクルト蔵本治孝「無名選手に夢を」

2017/12/13(水) 8:10配信

webスポルティーバ

「コンパクトなフォームから投げ込むストレートはMAX151キロ。フォーク、チェンジアップの決め球があり、先発もできるが、セットアッパー候補としての期待が大きい即戦力右腕」

【写真】鉛のベストで猛練習。ヤクルト秋季キャンプはリアル「スポ根漫画」だ

 ドラフト会議後、自身も1年目は抑え右腕として活躍した担当の岡林洋一スカウトは3位指名するに至った岡山商科大の右腕・蔵本治孝(くらもと・はるたか)について、こう評している。だが、即戦力との期待も受ける現在の状況は、昨年までの蔵本には考えられないものだった。

 兵庫県伊丹市に生まれた蔵本は、小学2年から通っていた天神川小学校の軟式野球部に入部し、中学では山田哲人(ヤクルト)もかつて所属していたヤングリーグの強豪・兵庫伊丹に入団し硬式野球を始めた。

 そこには完成度の高いエースがおり「僕は2番手か3番手くらいでした」とエースになることはなかったが、好素材を買われて、県内の強豪校の1つである神戸国際大附高に進学した。

 しかし、ここでも日の目を見ることはなかった。それもそのはず、蔵本は3年間で1度もベンチに入ることができなかったのだ。チームは甲子園出場こそならなかったが「すごく雰囲気のいいチームで、そこ(ベンチ)に入りたかったです」と環境は申し分なかった。だが、右ヒジのケガもあって思うように野球ができなかった。

 大のプロレス好きで知られる青木尚龍(あおき・よしろう)監督からは、その恵まれた体を見て「高校を卒業したら相撲かプロレスに入門しろ」と、冗談とも本気とも取れるトーンで言われたこともあったという。

 それでも蔵本に引退という選択肢はなかった。「大学でもう1回頑張ろうという気持ちでした。賢くもないですし、僕には野球しかないと思いました」と振り返る。そして青木監督もその気持ちに応え、数校の大学を勧めてくれた。そのなかで嬉しい「初体験」もあった。

 はじめに練習参加した岡山商科大で熱心に勧誘を受けたのだ。高校3年間、日陰にいた蔵本にとって、それは格別嬉しく感じられるものだった。

 大学入学後、1年から登板機会を得たが、徐々に右ヒジの状態が悪くなった。そこで2年の秋季リーグ終了後にトミー・ジョン手術(側副靱帯再建手術)を受けることを決断。蔵本はその手術日(11月9日)のことを今でもはっきり覚えている。

 手術は成功に終わったが、そこから1年以上は気の遠くなるようなリハビリに明け暮れた。当初はグラウンドに向かうのさえ憂鬱になった。

「ボールを投げに大学に来たようなものなのに、投げられないというのは……ストレスというか、練習に出るのさえ、(他人の)キャッチボールを見るのさえ嫌でした」

 それでも「もう1度投げる姿を見たい」と言ってくれるチームメイトや家族の存在が離れかけた情熱をなんとかつなぎ止め、自身も手術の成功例を調べて前を向いた。また、肩の可動域を広げるためのトレーニングや体力・筋力の強化、後輩への指導など、野球と向き合うことから逃げずに右ヒジの回復を待った。

 そして、今春に蔵本はリーグ戦のマウンドに帰ってきた。3月から急ピッチで仕上げて、1回戦の近藤弘樹(楽天ドラフト1位)に続く2回戦の先発の座を掴む。3勝2敗、防御率2.05とまずまずの成績を残し、エース近藤の7勝1敗という大車輪の活躍もあって、全日本大学野球選手権出場を決めた。

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最終更新:2017/12/13(水) 8:10
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