ここから本文です

【人的補償物語02】「大もうけと言っていい」と落合監督がほくそ笑んだ小田幸平の獲得

2017/12/14(木) 11:08配信

週刊ベースボールONLINE

大物選手がFA権を行使して移籍してくる代償として、その大物選手の旧所属球団が自分を指名する――。それは、チームが28人のプロテクトリストから自分を外したから。しかし、それで出場機会が飛躍的に増えるケースもある。人的補償で移籍した印象深い選手を取り上げていく。

控え捕手として存在感を発揮

 FA制度を利用した移籍に伴う人的補償は、1996年の川邉忠義(巨人→日本ハム=河野博文の補償)を筆頭に、平松一宏(2002年巨人→中日=前田幸長の補償)、ユウキ(02年近鉄→オリックス=加藤伸一の補償)と、当初は投手が指名されるケースが相次いだ。

 投手以外で人的補償に指名されたのは、05年オフに中日からFAで巨人入りした野口茂樹の代わりに、中日に移籍した小田幸平が第1号である。

 兵庫・市川高、三菱重工神戸を経てドラフト4位で98年にプロ入りした小田は、巨人では一貫して控え捕手という立ち位置だった。ルーキー時代の正捕手は村田真一。01年に強打の捕手、阿部慎之助がドラフト1位で入団すると、レギュラーの座はさらに遠のいていった。

 小田も少しずつ出場数を増やしていき、05年には自己最多の27試合でマスクをかぶったものの、絶対的な正捕手であり、打ってはクリーンアップの一角を担う阿部の牙城を崩すのは、とうてい不可能と言っても良かった。

 そこへ降ってわいたような中日への移籍。落合博満監督は「小田が(プロテクトから)外れているとは思わなかった。大もうけと言っていいんじゃないのかな」とほくそ笑んだが、それはあくまでも「控え捕手」の小田に期待してのことだった。

 なにしろ中日には谷繁元信という不動の正捕手がいる。年齢はすでに35歳になっていたとはいえ、その地位を脅かすのは難しかった。

 それでも小田は「控え捕手」としての役割を全うし、首脳陣の期待に応えてみせた。試合に出ていないときでもムードメーカー的な存在として、ベンチからチームを盛り上げた。

 ファンもそんな小田をこよなく愛した。打席に入るたびに、「小田」をアルファベットにした「ODA(オーディーエー)」コールで声援を送った。

 小田も、その声援に見事に応えて、お立ち台に上がったときには、お決まりの「やりましたー!」のセリフでスタンドを沸かせた。この決めゼリフはファンの間で流行し、グッズが販売されるまでになった。

 14年オフに戦力外通告を受けた小田は、現役続行の道を模索したものの、翌年1月に引退を表明。会見の締めくくりは「17年間、やりましたー!」の絶叫だった。

写真=BBM

週刊ベースボール

最終更新:2017/12/14(木) 12:37
週刊ベースボールONLINE

記事提供社からのご案内(外部サイト)

週刊ベースボールONLINE

株式会社ベースボール・マガジン社

藤川球児[阪神]インタビュー
マテオ[阪神]×ドリス[阪神]スペシャル対談
山岡泰輔[オリックス]×田嶋大樹[オリックス]