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フランス黄金期の象徴ジダン 絶滅危機の“トップ下”で輝いた完全無欠の司令塔

2017/12/15(金) 20:10配信

Football ZONE web

【サッカー英雄列伝|No.2】ジネディーヌ・ジダン(前編)――世界一へと駆け上がった新時代の“将軍”

 近代サッカーにおける完全無欠のトップ下――。フランス代表の司令塔として活躍したジネディーヌ・ジダン(現レアル・マドリード監督)には、そんな言葉がよく似合う。

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 185センチの身長を持つ雄大な体躯からは想像できないほどの鮮やかなテクニックを持ち、ゴール前での得点感覚も抜群。もちろん、セットプレーのキックも正確無比。全てにおいて穴がない男は、1990年代後半から2000年代前半のサッカーシーンにおいて、常にトップランナーであり続けた。

 北アフリカのアルジェリアにルーツを持つベルベル人の両親を持つジダンは、フランス南部の港町マルセイユで1972年に生まれた。22歳の時にボルドーでフランスの最優秀若手選手に選出されて頭角を現したジダンは、96年のUEFAカップで決勝に進出。この時、イタリアの強豪ユベントスのスカウトは、フランス代表の先輩であり“将軍”と呼ばれたミシェル・プラティニの後継者を発見したとして、狂喜乱舞。即座にジダンの獲得に踏み切った。

 守備の国、イタリアにおいてジダンの才能は、相手チームの全ての計算を狂わせた。94年のアメリカ・ワールドカップ(W杯)でイタリア代表を率いたアリゴ・サッキ監督が導入した“ゾーン・プレス”戦術が浸透したイタリアでは、いわゆるジダンのようなイタリア語で「トレクアルティスタ」と呼ばれる、自陣から4分の3のエリアでプレーするトップ下は絶滅の危機を迎えていた。

 ロベルト・バッジョやアレッサンドロ・デル・ピエロといった“ファンタジスタ”は、中盤の激しいプレッシャーを受けるポジションから、2トップの中でも衛星的な役割、イタリア語で「セコンダ・プンタ」と呼ばれるセカンドトップに移動した。それは、中盤に線の細いテクニシャンを置くことによるプレッシングの不備を避けるという意味合いもあった。

ライバルを苦しめた“悪魔”のキープ力

 しかし、ジダンにそのような心配はなかった。強靭な体躯を持つジダンは、守備時にはセントラルハーフとして戦うことができる。そして、相手のプレッシングにとってジダンという存在は“悪魔”でしかなかった。なぜなら、プレッシングによってボールを持たせない、あるいは奪い取るということが設計図に書き込まれているのに、ジダンは悠々とボールをキープして時間を作り出してしまうのだ。

 ジダンに2人以上の選手をぶつけていては、組織が崩れてしまう。しかし、組織を重視するとジダンにボールを持たれて良質なラストパスを出されてしまう。セリエAの対戦チームは、そのパラドックスに苦慮し続けることになった。

 ユベントスでは、“デル・ピッポ”の愛称を持ったデル・ピエロとフィリッポ・インザーギの2トップを背後から操り、5シーズンで2度の優勝。トヨタカップでクラブ世界一に輝くと、UEFAチャンピオンズリーグでも2回の決勝進出を果たした。貴婦人の愛称で知られるゼブラ軍団の中心には、常にジダンの姿があった。

 そして、キャリア前半で最大のハイライトが98年の地元開催フランスW杯だろう。当時のエメ・ジャケ監督はほとんどのポジションに2人の選手を選んでいたが、ジダンのポジションだけはバックアップがいなかった。それは、ジダンの代わりなど誰もできないから。しかし、ジダンは時に発してしまう“狂気”によってチームに非常事態をもたらしてしまう。

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最終更新:2017/12/15(金) 22:33
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