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「ずさんだ!」 パイロットたちから 厳しいツッコミ 受け続けたワケ ANAHD社長

2017/12/17(日) 17:10配信

NIKKEI STYLE

■ANAホールディングスの片野坂真哉社長(62)は損害保険会社やテレビ局など幅広く就職活動した。

※ANAホールディングス社長、片野坂真哉氏の「私の課長時代」

 全日本空輸に決めた理由は人事部の担当者の柔らかな人柄が印象的で、それが気に入ったためでした。

 最初の配属は大阪支店の総務でした。「ご用聞き」として支店内の様々な部署を歩き回りました。健康診断を受けない社員を受けるように説得したり、オフィスの電灯交換を手配したりする毎日です。色々な先輩と知り合い、飲みに連れて行ってもらいました。

■1992年、乗員計画課で課長級の主席部員に就く。

 パイロットの訓練計画を立てる仕事でした。経営企画が立てた旅客機の導入計画に合わせ、誰にどのタイミングでどういった訓練を施すかというプランを数年先まで練ります。副操縦士から機長への昇格なども織り込みます。当時2500人もいたパイロット一人ひとりについて、日々の乗務時間を加味して計算しなければなりません。

 こうした計算はかつて手作業でこなしていましたが、当時はまだコンピューターの導入期で、使い勝手は悪かったです。条件を入力してソフトウエアで3時間かけて自動計算。はじき出されたシミュレーション結果をみると、ある機種はパイロットが余っていて他方では不足、という失敗を一晩中繰り返したこともあります。

■立案した計画を実行するためにはパイロットとの折衝が必要だった。

 できあがった計画をパイロットに説明すると厳しい突っ込みが入ります。例えば、機種の移行訓練は全員が最短期間で完了するわけではありません。技量習得の進行速度には個人差があり、失敗率として表れます。この失敗率の想定が楽観的過ぎると「ずさんだ」と怒られるのです。

 短期の人繰りも話し合いで決めました。当時は国際線の拡大期で人手が不足がち。パイロットは運航技術を共有するため、部会や班会を開きます。そこに「来月は班会をカットして飛んでください」と、お願いに行きました。「分かった。再来月は大丈夫なんだな」と承諾してもらっても「再来月もカットです」と返し、あきれられたことも。

 パイロットは乗客乗員の命を預かる仕事です。強い責任感を持ち人格と技量、識見に優れた人ばかりです。そんなパイロット職場の近くで仕事ができたのは貴重な経験になりました。

【あのころ】
 高度経済成長期を経て航空需要は大きく伸びた。それまで国内線主体だった全日本空輸は1986年に東京―グアム線を就航し、国際定期便事業に参入。90年代にかけて急拡大していった。フライトの長距離化によりパイロットの働き方が大きく変わった時代でもある。

NIKKEI STYLE

最終更新:2017/12/17(日) 17:10
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