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「西郷どん」はじつは「農政のプロ」だった! 考案した「飢饉対策の中身」とは

1/15(月) 15:57配信

デイリー新潮

 14日に第2回が放送されたNHK大河ドラマ「西郷どん」。農民から年貢を集める役人になった西郷隆盛の悪戦苦闘ぶりが描かれた。

 当時、西郷が務めていた役は、農政を担当する「郡方書役助」。16歳で初めてこの役に就いてから、島津斉彬に見いだされるまでの10年間、この仕事を続けてきたのだ。

 日本思想史の研究者で、『未完の西郷隆盛:日本人はなぜ論じ続けるのか』の著者である先崎彰容・日本大学教授は、この長期にわたる農政の実務経験が、西郷の思想に大きな影響を与えていたと語る。

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 薩摩藩の厳しい年貢制度を目の当たりにしてきた西郷は、農村の疲弊に対して非常に敏感でした。後年、沖永良部島に流罪になった際には、本土よりもさらに過酷な収奪が行われている現状を憂慮し、以下のような上申書を提出します。

「このままでは仮に外国人が島に食指をのばし、偽りの慈善事業でもって民心をたぶらかせば、島民は即座に薩摩藩に反旗をひるがえす時がくるだろう。こうした危険は十分に予想できるので、現行の収奪システムを改めるべきだ」――このように西郷は訴えたのです。

 さらに西郷は、島民のために「社倉趣意書」という一種の保険制度を取り入れた独自の飢饉対策を考案しました。以下の通り、非常に具体的な内容で、西郷が「農政のプロ」だったことが分かります。

「たとえば一ヶ村にて五石の米高に相及ばば、二割の利付きにては一ヶ年には、一石の利米と相成るなれば、右を本に相立て年々仕くり候得ば…五ヶ年には十三石余の米高に相成り候わん。其の節は最初の出米の分は銘々へ返し当え、利米斗りを以て右の手数にて仕繰り候わば、人々不時の災難を救い、又は廃疾のものをもあわれみ、何か救済の道相付く事にはあるまじきか」

 西郷というと、維新回天の大事業を成し遂げた軍略家というイメージばかりで語られがちですが、じつは農本主義の先駆者とも言える人物だったのです。西郷が郡方書役助だった10年間に注目することは、西郷がどんな〈国のかたち〉を目指し、なぜ大久保利通らの明治新政府と袂を分かつことになったのかを考える重要なヒントとなるでしょう。

デイリー新潮編集部

2018年1月15日 掲載

新潮社

最終更新:1/15(月) 16:56
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