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ウーマン村本が知らない沖縄と中国の本当の関係 --- 八幡 和郎

1/18(木) 16:51配信

アゴラ

守礼門は中国皇帝への忠誠のシンボル

ウーマンラッシュアワー村本大輔氏の“妄言”から沖縄と中国の関係について議論が盛んだが。こんなことが起こるのも日本の教育のなかで国の歴史をきちんと教えていないからだ。もう日本史は社会科から外して公民教育の一環にでもしてもらわないとどしようもない。

日本人は弥生人と縄文人という先祖をもっているが、本土では中国人や韓国人と共通性が高い弥生人が優勢だ。しかし、弥生人がやってくる前から日本列島に住んでいた縄文人らしい特質をもつ人たちは、北海道や東北と南九州や南西諸島に多い。そういう意味では、沖縄の人は日本人のなかでもっとも中国人と縁遠い存在だ。

沖縄は日本列島でもっとも早く人が住み始めたのだが、現在の住人の主流は平安時代以降に鹿児島など南九州から移ってきたのでないかという説が有力だ。

沖縄で農業が盛んになりクニが生まれ始めたのは、鎌倉時代から室町時代になってだが、彼らと日本のつながりは盛んだったが非公式のものにとどまり、明帝国から使いがやってきて朝貢を勧め、冊封国としての琉球王国が成立した。

二千円札の図柄になっている「守礼門」は、中国からの使節を迎えて琉球国王となるべき世子が三跪九叩頭して迎える施設であり、「守礼之邦」という扁額にある銘は、中国の皇帝に忠実であることを意味するもので、「礼節が重んじられる国」などいう意味はまったくない。

とはいっても、近隣の日本との人的な行き来が圧倒的に多かったわけだし、江戸時代のはじめからは薩摩の島津氏の支配下に置かれたのだが、中国との冊封関係は維持された。しかし、欧米諸国がやってくると、中途半端な形式は植民地化の危険を生じさえることとなったので、明治12年(1879)の琉球処分で日本が完全併合し、いろいろ問題はあったが、日清戦争の結果、追認された。

沖縄の人たちが話してきた琉球言葉は、日本語と同系統の言葉である。言語学者は、祖日本語というべき同じ言葉から、弥生時代から平安時代のあいだのどこかで分かれたといっている。方言なのか別の言語なのかといえば、独立した言語として成立するためには、文法がしっかり整備されたり、辞書が編纂されたりすることが決め手だが、そこまでに至らないまま、明治時代に完全に日本に併合され、本土の言葉が普及した。

書き言葉としては、鎌倉時代に日本の仮名を使っての表記が始まり文学作品も生まれた。また、室町時代には、日本の諸勢力との間では仮名書きの文書のやりとりが、明帝国とは中国語での文書がやりとりされていた。

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最終更新:1/18(木) 16:51
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