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生徒が好きな先生の前に並び「担任」決める 名門日比谷高、それも教育の一環?

2/6(火) 7:47配信

NIKKEI STYLE

 予備校大手の河合塾(名古屋市)の河合弘登理事長(70)は、都立日比谷高校(東京・千代田)の出身だ。河合氏が在籍していた1960年代の日比谷は、毎年200人近い卒業生を東京大学に送りこむなど、全国の進学校の頂点に君臨していた。しかし、そのころの日比谷には受験校らしからぬおおらかさがあった、と河合氏は振り返る。

河合塾は名古屋が発祥だが、河合氏自身は東京で生まれ育った。

 河合塾はもともと、1933年、祖父で教育学者の逸治が自宅を開放して「河合英学塾」を設立したのが始まりです。37年に「河合塾」と改称しました。その後、父の弟が経営を継ぎ、3代目の理事長が父の斌人(あやと)です。父はもともと日本興業銀行(現みずほ銀行)に長く勤め、その間、山一証券(当時)の経営再建にかかわり、河合塾の経営を継ぐ直前は山一の副社長にまで上り詰めた金融マンでした。それで私も生まれは東京というわけです。
 引っ越しも何度か経験しましたが、中学は東京です。ですから、日比谷高校を受験したのは自然な流れ。当時は今のような受験戦争もなく、中学時代は遊んでばかりで勉強した記憶はほとんどありませんが、何とか日比谷高校に合格することができました。
 今の若い人は知らないと思いますが、かつての日比谷高校は、前身の東京府第一中学(府立一中)の時代から、日本史に名を残す大物を数多く輩出してきました。
 文壇では、夏目漱石や尾崎紅葉、幸田露伴らが日比谷で学びました。第二次世界大戦勃発時の総理大臣だった阿部信行氏や、ノーベル生理学・医学賞を受賞した利根川進氏もOBです。
 財界では、第一生命保険や東芝などの社長を歴任した石坂泰三氏や、トヨタ自動車の豊田章一郎氏、新日本製鉄会長だった今井敬氏をはじめ、そうそうたる顔ぶれです。
 東京以外からわざわざ日比谷高校に入る生徒も少なくなかったようです。それくらい日比谷高校は日本の学校教育の中心に位置していたのです。
 その後も日比谷は、私たちの世代も含めて社会のリーダーを輩出し続けていますが、戦前、戦中、戦後間もなくの卒業生のほうが、日本を変えるような傑出した人物が多かったような気がします。
 なぜ最近は昔に比べて傑出したリーダーが出てきにくくなったのか考えると、最大の要因は、教育の大衆化です。教育の大衆化は、労働力を均質化し、戦後日本の高度成長に大きく貢献しましたが、その結果、権力に忠実で忍耐強く、知識レベルが同水準の平準化された人物を生産するようになってしまいました。予備校を経営する私が言うのも何ですが、受験競争の影響もあると思います。

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最終更新:2/6(火) 7:47
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