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ノルディック複合 ルール変更で起きた世界のオギワラ潰し

2/19(月) 11:00配信

NEWS ポストセブン

「金」にこそ届かなかったものの、渡部暁斗が平昌五輪ノルディック複合・個人ノーマルヒルで2大会連続銀メダルを獲得したことは、度重なるルール改正に苦しんできた日本の復権を意味する快挙だろう。

 冬季五輪の第1回大会から続く伝統競技であるノルディック複合にあって、日本は1992年アルベールビル、1994年リレハンメルの両五輪で団体金メダルに輝いた。

 その立役者が、W杯で1992年から3季連続総合王者となった荻原健司氏だった。黄金期を健司氏と支えた双子の弟・次晴氏が振り返る。

「前半のジャンプで大量リードし、後半のクロスカントリーで逃げ切るのが勝利の方程式でした。当時、主流になりつつあったV字ジャンプを取り入れ、それを磨くことに日本は力を注いだ。兄の健司は、ジャンプ大会で船木(和喜)選手、葛西(紀明)選手らを抑えて優勝したこともあります」

 しかし1998年の長野五輪を前に、複数回にわたって日本に不利なルール改正が施行された。ジャンプの比重が軽くなり、以前ほどクロスカントリーのアドバンテージ=タイム差に結びつかなくなったのだ。露骨な“日本潰し”の結果、長野五輪では団体で5位に沈んだ。

 日本の躍進によって本場・ヨーロッパにおける複合人気が低迷し、スポンサーが集まらずにW杯の開催が危ぶまれたことなどが背景にあったという。ルールが変われば、試合の戦略や練習内容も変わったはずだ。

「クロスカントリーの練習に時間を割いて筋力を付け過ぎちゃうと、今度は空を飛べなくなってしまうんです。ものすごくデリケートな部分があって、ルール変更によって日本はジャンプ力まで低下した」

 悪循環を生み出すルール改正は長野五輪以降も頻発し、かつて2回だったジャンプも現在は1回に。ジャンプのポイントのタイム換算も、さらに日本勢にとっては不利になっていった。

 ソチ・平昌で表彰台に上がる渡部の登場まで、複合王国ニッポンは20年近い苦難の時代が続いた。

●文/柳川悠二(ノンフィクションライター)

※週刊ポスト2018年3月2日号