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浦和・山田直輝を救った湘南・曹監督の“治療“。一皮むけた元日本代表MFの決意

2/23(金) 10:33配信

フットボールチャンネル

 産声をあげてから25年になるJリーグが、23日のサガン鳥栖対ヴィッセル神戸(ベストアメニティスタジアム)で幕を開ける。J1で注目される選手の一人が、期限付き移籍していた湘南ベルマーレから4年ぶりに浦和レッズへ復帰したMF山田直輝(27)となる。18歳にして日本代表に選出された当時の輝きを取り戻し、メンタル的にも成長したベルマーレでの3年間は、さまざまな治療をほどこした曹貴裁(チョウ・キジェ)監督(49)と真正面から向き合ってきた濃密な日々でもあった。(取材・文:藤江直人)

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●湘南でプレーするなかでおとずれた変化

 あと数ヶ月もすれば、否が応でも決断を下さなければいけない。心技体のすべてが充実していたからこそ、できることなら時間が止まってほしいと、山田直輝は心のなかで念じていたかもしれない。

 湘南ベルマーレが負けなしの状況に入り、J2戦線の首位を快走していた昨夏のある日。ピッチのうえで群を抜く存在感を放ち始めていた「8番」は、何度も「いま」と繰り返した。

「いまいる環境で、自分のサッカーをすべて出すことしか考えていない。来年のことはもちろん、1ヶ月先も1日先も僕にもどうなるかわからない状況で、いまはサッカーをしているので。いまを生きることにフォーカスしているというか、これだけいまを生きることに夢中になっているのは初めてです」

 浦和レッズから期限付き移籍で加入したのが2015シーズン。自らの強い希望で2度に及ぶ延長をへて迎えた、山田にとっては初体験となるJ2を戦った昨シーズンの後半になって変化が生じてきた。

 ベルマーレを率いる曹貴裁(チョウ・キジェ)監督も、20日に発売された新刊『育成主義 選手を育てて結果を出すプロサッカー監督の行動哲学』(株式会社カンゼン刊)のなかでこう綴っている。

<見た目にはっきりと山田が変わってきたのは、昨シーズンの夏場を前にしたころだった。ピッチのうえでまったく足を止めない。消えてしまう時間帯がほとんどなくなり、いたるところに絶えず顔を出し、1試合の総走行距離も多いときで13キロ近くに達するようになった。

 治療の効果がようやく出てきたと、思わずにはいられなかった。ゴールをいくつ取ったとか、アシストをいくつ決めたという問題ではない。とにかく走るようになったし、守備で生じるスペースを誰よりも先に埋めようと、ディフェンスでも率先して頑張るようになった。

 しかも、自分が評価されるためではなく、チームのために走っている、という献身的な思いがベンチにもひしひしと伝わってきた。そのほうがはるかに楽しいことに、ようやく気がついたと言っていい>

 曹監督はユニークな言葉で、19歳になる直前で日本代表デビューを果たした山田の性格を表現したことがある。曰く「相槌を打たない男」と。いい意味では自分の意見やスタイルを貫き通す頑固者となるし、悪い意味では自分勝手となる。

●真正面から向き合い続けた曹監督

 ベルマーレにおける最初の2年間は、そうした性格がややマイナスに働いた。小さなけがも繰り返されたなかで、なかなか試合に絡めない山田にさまざまな治療を施したと『育成主義』で綴っている。

<山田が思い描いていた理想のサッカーを海外のクラブにたとえれば、FCバルセロナかアーセナルとなるだろうか。ボールをはたきたいからここにパスを出せ、という山田の価値観に対して、何度「それは違う」と言ったことか。

 ゴールを奪うことよりも自分が望むプレーが優先され、結果としてゴールが取れればいいという思考回路を、さまざまな方面からアプローチしてあらためさせた。現在のボルシア・ドルトムントやリバプールのように、ゴールへ向かう姿勢が何よりも大事なんだと。ゴールへ向かう選手がチームにとって大事なんだと>

 山田を獲得してほしい、と強化部へ進言したのは曹監督だった。J2を戦っていた2014シーズン。レッズとの練習試合で大原サッカー場を訪れたときに、リハビリに取り組んでいる山田と会った。

 アカデミー時代から山田を知っている指揮官は、かつての輝きが完全に失われていたその表情に少なからずショックを受けた。その年は2試合、わずか15分間の出場にとどまっていた。オフに設けられた交渉の席で、山田は思いの丈を曹監督に訴えてきた。

「自分を変えたいんです」

 期限付き移籍が決まり、新体制のもとでチームが始動すると、指揮官は別の意味で驚きを受けた。ボールを触るのが誰よりも好きだったはずなのに、パスをもらおうとしない。何よりもサッカーをすること自体を怖がっていた。

 重症だと思わずにはいられなかったが、だからといってあきらめることはない。曹監督は『育成主義』のなかでこう綴ってもいる。

<治療に時間はかかっても、それでも僕は絶対にあきらめなかった。山田に限らず、そのシーズンに預かったすべての選手に対して「ダメだ、こいつは」と思ったことは一度もない。ジャンルに関わらず、スポーツの指導者には「信じて、やらせて、待つ」の精神が何よりも必要だからだ。

 とにかく相手を信じて、まずはやらせてみて、結果がどうであれ待ってあげること。根気がなければ、指導者など務まるはずがない>

●転機となった娘の誕生と曹監督と真正面から対峙した時間

 ターニングポイントは2年目の8月に訪れた。2012年12月に結婚していた夫人との間に、待望の第一子となる女の子が誕生した。その瞬間に、新たな目標が生まれている。

「僕がサッカー選手だったという記憶を、娘の脳裏に焼きつけるまでは現役を続けたい。サッカー選手だった父の姿が僕の記憶にないので。どのような選手だったかも、いまでもわからないんですよ」

 最初にサッカーを教えてくれた父親の隆さんは、サンフレッチェ広島の前身・マツダSCでサイドバックや中盤としてプレー。しかし、山田が生まれた1990年にけがで引退している。動画サイトなどで探しても、いまのように映像などはいっさい残っていなかった。

 父親になった日は、あいにくのけがでスタンド観戦を強いられていた。明治安田生命J1リーグセカンドステージで、最終的に10連敗を喫するチームの5つめの試合だった。

「客観的に見ていて、みんながあまり楽しそうにサッカーをしていなかった。もっとサッカーは楽しくやらなきゃ、と思えたことも自分のなかでは転機になりましたね」

 終盤戦に入って、山田のパフォーマンスは好転していく。チームのJ2降格がすでに決まっていた最終節で、名古屋グランパスを相手に2ゴールをゲット。敗れたグランパスも、初めてJ2へ降格している。

 オフになってベルマーレからは期限付き移籍の更新を、レッズからは復帰を要請された。両チームから届いたオファーに心が揺れたが、最後は自らがプレーしたシーズンにチームを降格させた責任と、ようやく描き始めた成長曲線をベルマーレで加速させたい思いが上回った。

「正直、期限付き移籍で3年目を迎えるのが珍しいと聞いたときに、逆に僕のほうがびっくりしたんですよ。普通にありうることなのかな、と僕は思うんですけど」

 2度目の延長を決めたときの心境をこう振り返りながらも、直球をどんどん投げ込んでくる曹監督と真正面から向き合ってきた2年間を、山田はこんな言葉で表現したことがある。

「サッカーに向き合う時間が一番長かった、この先の自分の人生のなかでもすごく濃い時間だったと思える日々をすごしてきたので。この道が最良だったのかどうかはわからないですけど、僕の人生のなかでものすごく大切な時間だったといまは思えているので」

●浦和・堀監督が実感した山田の成長

 コンディションも万全だった昨シーズン。開幕からコンスタントに先発を続けた山田は、最終的に39試合に出場。夏場以降はフル出場するケースも増えて、プレー時間は3030分間を数えた。

 これまでの自己最多がプロ契約を結んだ2009シーズンの20試合、1365分間だったから、いかに濃密なシーズンをすごしたかがわかる。そして、自分の内側から変化が生じていることに気がついた。

「これだけ試合に出させてもらっていると、チームが勝利することへの責任とは、こんなにも重たかったのかと感じている。いままで年上の選手たちがこんな気持ちでサッカーをやっていたのかと考えると、若い子たちには何も考えることなく、彼らの良さを出さしてあげたいと感じるようにもなりましたね。

 チームのために、走れるようになったと自分でも思う。走る距離そのものは変わっていないかもしれないけど、以前は自分勝手に走っていたところがあったのかなと。いまはもっと勝利に貢献しなきゃいけない、もっと自分にできることがあったと、試合が終わった直後によく思うようにもなったので」

 27歳にしてたどり着いた理想的な境地。かつての輝きを取り戻し、一挙手一投足を通じてサッカーの楽しさを表現し、なおかつチームのためにという思いがファーストプライオリティーとなる思考回路に、ユース時代に山田を指導し、トップチームのコーチとしても接したレッズの堀孝史監督も目を細める。

「以前は(山田)直輝が望むプレーをやりたい、という面が強かったんですけど。いまも自分のスタイルを出すことは当然ありますけど、よりチームのためにといいますか、チームの勝利のために何を求められているのか、ということを考えるようになったと思います」

●「湘南で成長した自分でもう一度チャレンジしたい」

 レッズへの復帰にあたっては、ベルマーレへ完全移籍するか否かで再び葛藤があった。最終的にはベルマーレで成長した姿を、レッズのファンやサポーターに見てもらいたいという思いが上回った。ベルマーレから発表されたリリースには、熱い思いのすべてが凝縮されていた。

「この3年間は僕にとってかけがえのない時間でした。仲間やサポーターとの別れは、僕が決断したことではありますが本当に辛いです。それでも、湘南で成長した新しい自分でもう一度浦和でチャレンジしたい、湘南スタイルで輝きたい。わがままなのはわかっています。でも行きたいんです。行ってきます」

 昨シーズンを戦ったチームの解団式では、涙ながらに「いまこのタイミングで戻らなければ後悔する」と偽らざる本音も打ち明けている。試行錯誤しながらも再びスタートラインへ立った山田へ、勝利への責任を背負うという観点から、曹監督からはこんな言葉を聞いたことがある。

「もっと早くそういう経験をしなければいけなかったし、その意味では直輝のサッカーに対する精神的な準備というか、直輝の人生設計が甘かった。ただ、27歳でもう遅いとあきらめるのか、いまからでも変われるのかは考え方次第で全然違うから。その意味ではよくやっていると思います」

 そして、レッズへの復帰を決めた山田へは、『育成主義』のなかで「勝負はこれからだ」という檄とともに、曹監督らしいエールを送っている。

<勝利への責任をすべて背負ってプレーしたときに、変わったと言われるのか。やっぱりレッズに戻るとダメなのかと言われるのか。成長したとレッズに関わるすべての人たちから認められるように、自信を抱きながら、身心両面でたくましくプレーしてほしいと思っている>

 レッズのインサイドハーフには新キャプテンに就任した柏木陽介、ハリルジャパンにも選出された長澤和輝、柏レイソルから加入した武富孝介らのライバルたちがそろう。覚悟と決意を込めて復帰した愛着深いクラブで、ベルマーレでの3年間で味わったすべてが、山田が前へと進む羅針盤となる。

(取材・文:藤江直人)

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