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雑草魂で頂点を極めた上原浩治の野球人生

3/9(金) 16:01配信

週刊ベースボールONLINE

10年ぶりに古巣・巨人のユニフォームを着ることになった上原浩治。高校時代は控えだった男がメジャー・リーグの舞台にも立った。“雑草魂”を貫いている、野球人生を振り返ってみよう。

1年間の遠回り

 父親が監督をしていたチームで野球を始めたが、さほど本格的ではない。中学時代は陸上部にも入り、三段跳びや幅跳びをしていた。「自転車で通えて、野球が強い」という理由で選んだ東海大仰星高時代はセンター。3年時に投手に転向したが、最後まで控え投手だった。当時のエースがのちに日本ハム入りした建山義紀だ。

 高校時代の公式戦通算投球回はわずか6回1/3。ただ、連日、打撃投手を買って出て、球数はそれなりに投げている。持ち味である制球力とテンポの良い投げ方は、この時期に鍛えられたものである。

 当時はプロなど別世界だ。体育教師を目指し、大体大の入試を受けるも不合格。これが転機となった。勉強とともに、体も鍛えておいたほうがいいというアドバイスもあり、ジムでトレーニングをし、体のメカニズムを勉強した。『ノーラン・ライアンのピッチャーズ・バイブル』をむさぼるように読んだのも、この時期だ。出遅れた悔しさや焦りもあったが、のちにつながる多くの糧を得た1年でもあった。

 一浪し、大体大に入学。野球部に入った。1年間、ほとんど野球はしていなかったが、理論立てたトレーニングで、しっかりと体が出来上がったことに加え、自身の長身を利したフォームの研究も奏功。見違えるほどの成長を遂げていた。

 1年春からエース格となる。大学選手権での東北福祉大・門倉健(のち中日ほか)と延長11回を投げ合い、その名が全国区となった。

 3年時、97年の日米大学選手権では14奪三振、メジャー球団の注目を集めると、インターコンチネンタルカップでは国際大会151連勝中のキューバを決勝で破り、世界一に導く。この試合、四番で5打点を挙げたのが、のち巨人でチームメートとなる慶大の高橋由伸。1学年上だが、生年月日はまったく同じだ。

 当時のピッチングは速球とスライダーがメーンで、ナックルカーブで緩急をつけた。4年間で通算36勝、うち13完封とリーグ戦の成績も圧倒的だった。

 プロ入り時はメジャー・リーグのエンゼルスも獲得に動き、本人も将来の目標としてメジャーを掲げていただけに迷ったが、「まだ早い」と考え、逆指名1位で1999年巨人に入団した。

「メジャーはひとまず夢として置いておきます。いまは巨人でしっかり頑張りたい。エリートに負けたくないんでね」

 このエリートという言葉に、横浜高から鳴り物入りで西武に入団した松坂大輔を連想した人も多かったが、実際は1学年上ながら同年齢の川上憲伸(明大-中日)と高橋のことだった。大学の野球部は年齢が同じでも、学年が上なら敬語を使うが、上原は憲伸、由伸と呼んでいた。背番号は19歳で過ごした浪人を忘れたくないと「19」を選んでいる。

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