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なぜ日本人は遅刻に異様に厳しいのか? 他国の人との比較から考えてみた

3/11(日) 8:50配信

HARBOR BUSINESS Online

 日本社会が時間に厳しい国であることは、自他ともに認めるところだ。そんな“国内時計の針”を引っ提げて海外に住むと、前回紹介した『なぜアメリカ人は真っ青なケーキを平気で食べるのか? その理由がほぼ判明』の「色彩感覚の違い」以上にやっかいな現場に対峙することがある。

 現在ニューヨークに暮らす筆者は、公的な遅刻を絶対にしない。日本社会においては当然のことだが、その中でも人一倍気を使うほうだと思っている。

◆セーラームーンの目覚ましが動いてくれなくて…

 小学生だったある日の朝、4つ下の妹が愛用していたセーラームーンの目覚まし時計が、月に代わってお仕置きしてくれなかったことで大寝坊をかまし、それによってもたらされた大失態が、20年以上経った今でもトラウマになっているためだ。

 当時暮らしていた小さなアパートでは、家族総出でこの美少女戦士に頼りきっており、その日は一家もろとも真夜中の「戦士の電池切れ」に屈する。

 通っていた学校には朝礼があり、よりによってその日は週に1度の全校朝礼。学校近くの工場で働く父に車で送ってもらい、大急ぎで講堂に向かったのだが、10分遅れでギィと開けたそのドアの向こうには、校長先生の話に集中できない300人分の冷たい視線が待ち構えていた。

 さらに、教室に戻った際、母親が超速でこしらえてくれた弁当はしっかり持ってきていたのに、肝心のランドセルを父親の車に忘れてきたことに気付き、勇気を振り絞って担任に白状した。

 すると「何しに学校へ来た」と美少女戦士に代わってお仕置きされ、焦って思わず「弁当食べに来た」で返すと、今度は幼気な子どもには閻魔大王でしかなかった当時の教務主任に担任に代わってお仕置きされ、見事に純度100%のトラウマが出来上がった次第である。

 前置きが長くなってしまったが、そうした日本人の時間的感覚や今後の課題について、ニューヨークとの比較から考えていきたい。

◆「少し遅れて行くくらいがマナーだ」

 それぞれの国や地域の時間的感覚が如実に表れるのは、「公共交通機関」だ。中でも、鉄道は分かりやすい。

 日本では、分単位で設定された通りの時間で電車が動き、遅れれば遅延証明書に人が群がる。毎朝同じ電車に長時間の無言で揺られれば、“顔見知りの他人”に不思議な情すら湧いてくる。15秒単位で組まれる新幹線のタイムテーブルを、超時短清掃で下支えするスタッフの姿には、今までに何粒のサブイボを立たされたか知れない。

 一方、ニューヨークの地下鉄を乗りこなすのに必要なのは、分でも秒でもない。運と光と風だ。

 ニューヨーク市を走る地下鉄を運営するMTA(Metropolitan Transportation Authority)が昨年発表したレポートによると、2016年に発生した遅延は、60,274件。単純計算で、1日165件の遅延が発生していることになる。

 その度に車内に流れる「遅れている」なる男性の録音アナウンスは、元気も歯切れも無駄によく、そもそも時刻表が存在しないため(いや、厳密には存在はしているらしいのだが、駅のどこにも掲示はない)、何を基準に遅れていると言っているのかも分からない。最近になって、ようやく電車の待ち時間を示す「電光掲示板」が駅に設置されるようになったが、それらは「あと1分」を1秒にも10分にもさせる力を秘めている。

 その結果、ニューヨーカーが最後に頼るのは、ホームから線路に身を乗り出して見る電車の「光」と、到着間際の電車がホームにもたらす「風」。自分の前髪がそよぎ始めたら、電車到着まであと30秒の辛抱だ。

 今回、ニューヨークに住む外国人70人に「公的な待ち合わせ時間に5分遅れたら謝るか」と聞いたところ、「謝る」と回答したのは43人。その時間が10分になると、61人が「謝る」としたのだが、中には「“謝る相手”が現場にいればの話だが」、「少し遅れて行くくらいがマナーだ」という条件や言い訳を添えるニューヨーカーもおり、ふと多民族都市で生きる難しさと面白さを垣間見た気がした。

 一方、同じ質問を日本人にしてみたところ、80人中79人が「5分の遅刻で謝る」と回答。それどころか、「5~10分前行動は当たり前」、「時間通りに到着しても、相手が現場で待っていたら謝る」、「15分前に着いて待っていても、『待った?』と聞かれれば『私も今着いたところ』と返す」などの意見が溢れ、日本人が外国人に比べてどれだけ時間に厳しいかを再認識するに至った。

◆エレベータの「閉」ボタンを押す日本人を外国人は理解できない

 そんな日本の時間厳守の文化に関して、昨年、BBCやNew York Timesといった海外主要メディアが大きく報じたニュースがある。つくばエクスプレスの「フライング発車」における一件だ。

 首都圏新都市鉄道によると、昨年11月、本来ならば午前9時44分40秒に発車するはずのつくばエクスプレスが、20秒早い9時44分20秒に発車。分単位で示される時刻表上では「定刻通り」の運行で、乗客から「乗り遅れた」などの苦情を受けたわけでもなかったが、それでも会社側は後日、ホームページで経緯を説明し、謝罪した。

 2分の遅延で「深くお詫び」する電車アナウンスは、もはや日本の常識となりつつあるが、早発20秒での謝罪は、さすがの日本人でもざわつくところ、外国人にとってどれほどの衝撃だったかは想像に難くない。

 筆者の周りでも、「日本人は20秒で伝説を作った」、「新手の宣伝なのでは」「さすが日本人の“20秒前行動”」と驚きの声が上がった。

 こうした日本人の時間的感覚を称賛する意見がある一方、それを「せっかちだ」とする考えも中にはある。エレベーターの「閉める」ボタンがいい例だ。

 現在のアパートに引っ越してすぐのこと、下階から上がってきたエレベーターに乗り込んでボタンを操作した筆者に、先乗りしていた管理人がこんなアメリカンジョークを掛けてきた。

「どんなに急いでも、このエレベーターで行けるのは12階(最上階)までだぞ」

「この人は一体何を言い出すんだ」と一瞬訝しんだが、彼の目線の先に、さっき自分が押した「閉める」ボタンを見つけ、その真意を理解した。

 日本では何の気なしに押される「閉める」ボタンだが、アメリカでは、めったに押されることはない。1プッシュで無駄な2秒をそぎ落とそうとする日本人に対し、「放っておけばいずれ閉まる」というのが彼らの考え方なのである。

 いまいちピンと来ない彼の笑いのセンスに、エレベーターと合わせて口角を「上に参ります」して適当に対応しながらも、ワンプッシュで生み出される2秒の存在に気付かされ、その使い道を考えながら自階に降りるに相成った。

 こうして外国人と日本人の時間的感覚を場面ごとに比較していくと、日本人の時間的感覚に、ある現状が見えてくる。それは、始業時間や待ち合わせ時間、無駄な時間にはこれほど厳しいのに、終業時間にはとことんルーズであるという点だ。

 ニューヨークのカフェでは、閉店時間30分前にもなると、店内の客に構わず椅子上げやモップ掛けを始め、「閉店時間」に帰宅しようとするスタッフをよく見かける。以前筆者が働いていたオフィスでは、終業10分前になると、肩にカバンを掛けて残りの仕事を片付けるスタッフもいた。

 日本人からすると、こうした勤務態度は、決して褒められたものではない。しかし、何としても定時に仕事を終わらせようとする彼らを目の当たりにすると、終電まで仕事を続ける日本人の姿は、果たして「褒められたもの」なのだろうかと、ふと考えさせられるのだ。

 国内で「働き方改革」が叫ばれて久しい。

 顔を突き合わせて長時間働くことが美徳とされてきた今までの労働体制から、残業時間の見直しや削減を進めていくには、仕事量に合わせて労働時間を産出する元来のカタチを、労働時間の範囲内でできる仕事量を逆算し、生産性や効率性を高める方法へ180度方向転換する必要がある。それは「改革」というより、もはや「変革」といっていい。

 染みついた習慣を大きく変えることは容易なことではない。が、15秒単位で電車を走らせ、1プッシュで2秒を産み出せる、この“世界最高精度の針”は、こうした難しい逆算をする時にこそ大きな力を発揮するのではないだろうか。

【橋本愛喜】

フリーライター。大学卒業間際に父親の経営する零細町工場へ入社。大型自動車免許を取得し、トラックで200社以上のモノづくりの現場へ足を運ぶ。その傍ら日本語教育やセミナーを通じて、60か国3,500人以上の外国人駐在員や留学生と交流を持つ。ニューヨーク在住。

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