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「日本で重要なのは…」。元中日トニ・ブランコが語る“見る目がガラリと変わった”瞬間【インタビュー】

3/18(日) 10:01配信

ベースボールチャンネル

 トニ・ブランコの名は、日本の野球ファンであれば誰もが覚えているだろう。中日ドラゴンズ時代に本塁打王、横浜DeNAベイスターズでは首位打者に輝いた強打者である。ブランコが日本球界で成功を収めた理由とは? そしていまだ現役を続ける意欲を語った。

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 中日、DeNA、オリックスの3球団で計8シーズンに渡りNPBでプレーしたトニ・ブランコ。首位打者、本塁打王各1回に、打点王2回、そして181本という通算本塁打数。間違いなくNPB史上に残る最強の外国人プレーヤーのひとりといってもいいだろう。

 しかし、2016年シーズンをもって日本球界を去ってから早や1年半、彼に関するニュースを全く耳にすることがなくなった。引退報道も、プレーしているという報道もない中、母国ドミニカ共和国にいる彼に直接話を聞くことができた。

 彼に話を聞いたのは、首都サントドミンゴの中心部から車で約20分ほどの閑静な住宅街の中にある彼の自宅だ。車庫には複数の高級車が置かれ、庭の中央にはプールが。その床の底には日本時代の8年間背負い続けた続けたお気に入りの「42」という数字が刻まれている。ジャパニーズドリームを掴んだ男の証が詰まった豪邸だ。

――2017年シーズンは全くプレーすることなく1年を送ったわけですが、引退されたわけではないのですね。

 「ああ、引退したわけではないんだよ(笑)。昨冬もドミニカウインターリーグからオファーはあったのだけど、膝のリハビリを優先したので断ったんだ。復帰を目指してずっとトレーニングは続けているよ」

――8年間の日本時代を振り返ってもらいたいのですが、日本でのプレーを意識し始めたのはいつ頃のことなのでしょうか?

 「2005年に初めてメジャーリーグに昇格(ワシントン・ナショナルズ)できたのだけど、定着できなかった。ああ、あの年は大家(友和)がチームメイトだったね。それでもまだ若かったし、日本でプレーすることはイメージできなかった。でも、2007年の冬からドミニカのウインターリーグに参戦して、日本のチームから関心を持たれるようになり、状況が変わってきた。20代も後半に差し掛かろうとしていたし、日本行きのオファーを受け入れたんだ」


■「非常に良好だった」。落合博満監督との関係

――来日1年目(2009年)、すぐに本塁打王と打点王の2冠を獲得しました。日本での挑戦は、あなたにとってイージーなものと映りましたか?

「いや、結果は残したけど全くそんなことはなかったね。日本のピッチャーとの対戦は常にハードなもので、レベルも非常に高いと感じていたよ。当時巨人にいたアレックス・ラミレス(現DeNA監督)が”この国ではタイトルを獲ることが重要だ。タイトルを獲れば周りの見る目がガラリと変わるんだ”とアドバイスをくれた。そして事実そうなった。日本で成功したいという気持ちも強かったし、もちろん周囲のサポートも大きかった」

――日本時代の最初の監督であった落合監督との関係はどんなものでしたか?

 「非常に良好だったね。よく打撃の指導もしてくれたし、それがまた的確なものであったんだ。チームが勝っても負けても、私が打とうが三振しようが、彼は常に同じだった。クレバーな人物だね」

――中日では4シーズンを過ごし、2013年にDeNAに移籍。そのシーズンで首位打者と打点を獲得しました。ホームランバッターのあなたが首位打者とは意外なイメージがありましたが、技術的に何か変化があったのですか?

 「いや、技術というより気持ちの変化だね。移籍は新しいモチベーションを生み出してくれたし、中畑監督(当時)が”単打も狙ってみたらどうだ”と言ってくれた。中日時代は常にホームランを打つことばかり意識していたからね」

――試合後のお立ち台では、中日時代よりも陽気に振舞っていた印象もありますが。

 「DeNA時代はとにかく勝てなかった。たまに勝った時くらい騒ぎたくなるだろう(笑)」


■「生き残るためにもアジャストするしかないんだ」


――そして2015年にはオリックスへ移籍しましたね。

 「DeNAでの2年目、そしてオリックスでの2年間は常にケガとの戦いだった。とにかく、全くいいパフォーマンスができなくて非常に残念な気持ちしかないね」

――とはいえ、8年間で積み上げた数字は素晴らしいものでした。ただ181本塁打はドミニカ人としては2位という記録です。1位は誰か分かりますか?

 「(少し考えて)誰かな…?」

――ホセ・フェルナンデス(ロッテ、西武、楽天、オリックスでプレー)が206本打っています。

 「ああ、そうだね。彼は何シーズンプレーしたんだい?(注:11シーズン)。でも、確か彼はタイトルを獲っていないよな?(笑)」

――たくさん放ったホームランの中で記憶に残る1本はありますか?

 「2012年のクライマックスシリーズ(CS)でヤクルトのバーネットから打った満塁ホームランだね(2012年CS1stステージ第3戦。8回裏、0-1とリードされている場面で放った一打)。追い詰められたイヤな雰囲気の中、あの一発で(巨人の待つ)東京ドーム行きを決めたんだ」

――最も印象に残るピッチャーは誰でしたか?

 「(即答で)大谷翔平(エンゼルス)だね。とにかく速かった」

――先ほどあなたは、日本で成功したいという強い思いを持っていたと言っていました。多くの外国人選手と仕事をしている球界関係者の知人が“ラテン系の選手の方が米国人選手よりも日本野球を理解しようという姿勢が強い”と言っていったのですが、あなたはこの意見についてどう思いますか?

 「それは正しいと思うよ。やはり、米国人の選手というのは自国の野球に強いプライドを持っている。彼らにはMLBという大きなリーグがある。日本もそうだ。でもドミニカには、ウインターリーグがあるといっても決して大きなものではない。だから、シーズンの大部分を”外国人選手”として海外で過ごさねばならない。米国に行ったら米国の、日本に行けば日本の、生き残るためにもその場所のやり方にアジャストするしかないんだ」


■現在、36歳。現役への思い

 実は、彼は昨年、地元ハイナという町のビーチ沿いの地域に「MVP sport bar」というスポーツバーをオープンさせ、経営者という新たな肩書も手に入れた。オーナーである彼自身もしばしば店に顔を出しているということだが、それでも彼の情熱の中心にあるのは野球のようだ。

 「ビジネスは難しいね(笑)。やっぱり、まだまだ野球がしたいんだ。今はリハビリをしながら復帰への道を探している。地元の子供たちに野球を教えることもあるし、将来的に自分のアカデミーを持ってみたいという思いもある。日本で指導者になるというのも目標のひとつだ。でもやっぱりプレーしたいんだよ」と36歳になった今も現役への強いがあることを語ってくれた。

 ブランコが引退していると思っていたファンの方には、彼がまだ現役復帰を目指しているという近況は朗報であろう。しかし、フィジカルコンディション、年齢的な問題も含め、その道のりが簡単ではないことはファンも、そして彼自身も理解している。

 それでも、多くの野球ファンを熱狂させてきたブランコの豪快なホームランを再び目にする機会が来ると信じたい。日本のファンのためにも現役復帰をぜひとも実現させてもらいたい。


取材・文:高橋康光

ベースボールチャンネル編集部