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センバツ2018 大阪桐蔭「最強世代」を見逃すな!

3/30(金) 12:06配信

FRIDAY

 今回のセンバツ高校野球の中心は、大阪桐蔭で間違いないだろう。

 今夏の100回記念大会に照準を合わせチームの強化に専念してきただけあり、「史上最強」との呼び声も高い。実際、26日の初戦では、先発全員の20安打、14得点と伊万里(佐賀)を圧倒し、その驚異的な強さを見せつけた。

 31日の第一試合では、明秀日立(茨城)と対戦する。長年、大阪桐蔭高校を取材してきたスポーツライターの柳川悠二氏が「最強世代」に迫った。


 春が90回、夏の選手権大会が100回の記念大会を迎える今年、大阪桐蔭には投打にドラフト上位候補が並んでいる。

 最強世代――。新聞紙上や高校野球専門誌には、今年の大阪桐蔭を形容する四文字が躍る。’15年秋、翌春の入部予定者リストを入手すると、そこには中学硬式野球の日本代表クラスがズラリ。記念大会を見据えて全国のプロ予備軍が集結し、3年後には同校史上、最強世代が甲子園を席巻する……当時の確信めいた予感がいま、現実となりつつある。

 中でも抜きんでた経歴の持ち主が岐阜県飛騨市出身の根尾昂(あきら)だった。MAX146kmの直球(当時)に加え、スキーのスラロームで中学日本一となった身体能力、ほぼオール5の成績にも目が止まった。

 吹雪が舞った’16年1月のある日、数時間に一本しかないローカル線を乗り継いで、根尾が育った街を訪ねた。両親は共にいくつかの僻地(へきち)診療所を受け持つ医師で、根尾少年は忙しい両親に代わり、両親の診療を受ける地元のお年寄りに面倒をみてもらっていたという。

 これまで大阪桐蔭に在籍した選手――たとえば中田翔(北海道日本ハム)や森友哉(埼玉西武)らヤンチャな印象の強い選手とは、明らかに毛色が違った。

 雪国育ちの健気で生真面目な少年は入学当初、関西弁に戸惑い、そのノリに驚いた。そんな根尾も2年が経過した現在ではすっかり大阪人となっている。

「正月に岐阜に帰ったんですけど、地元の言葉が話せませんでした(笑)。本当はスキーもやりたかったけど、ケガをして野球に影響が出るのが怖くて……」

 1年夏からベンチ入りしてきた根尾だが、ここまで光るのは野手としての活躍だ。外野を守れば俊足・強肩を活(い)かし、ショートに入れば逆シングルで捕球する難しい打球も、スキーで斜面をターンするように軽快に捌(さば)いていく。打席では全身をバネのように使ったフルスイングを身上とし、昨秋の公式戦ではチーム一となる計5本塁打を放った。

「通算本塁打の数ですか? 興味がないので数えたことがありません(3月20日時点で20本)。課題は、ファーストスイングでボールを完璧に捉えられる感覚が、まだまだ物足りないことですね」

 西谷浩一監督は言う。

「中学時代から、投手としてだけでなく、走攻守が揃った野手としての可能性も秘めていた。野球の取り組み方、人間性、そして学業に関しては、文句のつけようがない。強いて注文をつけるとすれば、打席で大振りが目立つこと。もちろん、強く振ることは大事なんですが、100点のバッティングもあれば、0点もある。アベレージで80点ぐらいのバッティングができるよう、フォームを修正中です」

 投手としての根尾は150kmに迫る直球とスライダーのわずか2球種で相手を抑えていく。昨年のセンバツで、胴上げ投手となったのはこの根尾だった。

「入学したころは投手でやりたい気持ちのほうが大きかった。でも、野手として出場する機会が増えて、いまでは練習の割合もバッティングのほうがはるかに多い。打ってチームに貢献したいという気持ちのほうが強いですね」

 新チームになってから4番に座り、13試合で打率.357、5本塁打、20打点、4盗塁をマーク。一方、投げるほうでも3試合で2完封。秋季近畿大会準決勝・近江戦では16三振を奪った。

 投手・内野手・外野手の三刀流で結果を残し、副主将としてもチームの勝利に貢献しているが、元“スーパー中学生“は満足することを知らない。

「ピッチングもバッティングも全然。インパクトのある結果を残せていない。秋季近畿大会の近江戦にしても、終わってみたら16奪三振だったというだけで、内容は全然、圧巻じゃなかった。走者を背負う場面が多く、失点を防ぐために三振を狙いにいったから結果、三振が増えたというだけ。課題ばかりでした。投打ともに、技術が足りないと思っています」

「ホームランを打てて当然」

 どこまでもマジメな根尾とともに、今秋のドラフト1位指名が有力視されているのが、外野手の藤原恭大(きょうた)だ。

 入学間もない2年前の6月、沖縄での招待試合で一発を放つ鮮烈デビューを飾った。センバツ決勝で2本塁打を放った昨年は、カナダで開催されたU-18W杯に2年生ながら出場。リードオフマンとして、ジャパンを牽引(けんいん)した。

 対戦校にとって脅威となるのはその足だ。下半身の筋肉は外国人スプリンターのように発達し、50mを5秒7で走る。

「100mも本気になれば10秒台も狙える」

 と本人は嘯(うそぶ)くが、彼の快足はダイヤモンドを駆けてこそ生きる。平凡なライト前ヒットを二塁打にしたり、四球で出塁するや盗塁して“二塁打“にしたり。

「あの足の速さは見たことがない」

 そう語る西谷監督は誰よりも藤原の能力を評価するがゆえに、誰よりも厳しく接してきた。昨秋の近畿大会で優勝した直後、藤原を呼び寄せ、数分間にわたってアドバイスを送る姿があった。

「打つことに関しては、西武に入団した森友哉の足下にも及ばない。打率も、あらゆる投手のボールにアジャストする能力はまだまだ。森を基準にするのはかわいそうですが、森はアウトになってもほとんどボールを芯で捉えていました」

 藤原は2歳上の兄が在籍していたPL学園に入学する予定だった。しかし、同校が新入部員の募集を停止し、進路を変更。PLに代わる大阪の雄の主力となったのは不思議な因縁だ。藤原は言う。

「(木製のバットを使用した)W杯で力不足を痛感しました。帰国してパワーアップに取り組み、ボールが上がる角度が良くなりました。捉える率も上がったと思います。プロではそう簡単にホームランは打てないと思いますが、甲子園では高校生が対戦相手。ホームランを打てて当然、くらいに考えています」

 昨夏の甲子園3回戦で大阪桐蔭は、仙台育英(宮城)と対戦し、9回二死まで1対0とリードしていた。だが、一塁を守っていた中川卓也が、遊撃手からの送球時にベースを踏み損ね、その後、完封目前だった柿木(かきぎ)蓮がサヨナラ二塁打を浴びて敗れてしまう。

 新チームではその中川が主将に、148km右腕の柿木が背番号「1」を背負う。ミート力ではチーム一の中川は、ほんのわずかな油断が敗北につながる野球の怖さを知り、主将となってからは「100%の確認」をチームのテーマに掲げた。

「守備位置とか、カバーリングとか、作戦とか、チームとしての決め事をいちいち確認するようにしました。たとえチームで99%の意思疎通ができていても、1%欠けていると、それがスキになりますから。甲子園でつくった借りは甲子園でしか返せないと思います」

 柿木は昨秋の近畿大会決勝・智弁和歌山戦で、仙台育英戦とまったく同じ場面に遭遇。今度は1点のリードを守って完封に成功した。柿木はこう言った。

「野球人生で忘れられない出来事で、今後も脳裏に浮かぶ場面はあると思います。うまく糧にできれば」

 大阪桐蔭の投手陣にはこの柿木に加え、横川凱(かい)という身長190cmの大型左腕がいる。そこに先の根尾を加えた3人で先発3本柱を形成。横川は近畿の強豪校による争奪戦が繰り広げられ、将来のエース候補と目されていた。右足を振り子のように使って投げるフォームは教科書のような美しさで、角度のある140km超のストレートと、大きく曲がるスライダーで勝負していく。

 だが、昨春のセンバツの静岡戦では、周囲を失望させる結果になった。1回表に自身の2点適時打を含め6点を先制しながら、その裏のマウンドで大量失点。先頭打者への四球と自身のバント処理エラーで動揺し、わずか1つのアウトしか取れず、降板した。

 西谷監督はエースを競わせてきた柿木と横川の性格をこう比較する。

「柿木は気持ちが強く、昭和っぽい、ガキ大将タイプ。対照的に横川はおとなしく、マイペース。『俺が柱になる』という気持ちが表に出ず、歯がゆいというか、イライラしますね。能力が高い選手が揃っていることで、ライバルを頼るようなところがあり、それが成長を妨げている面もあるのではないか。ただ、あの身長で左腕ですから、上(プロ)からしたら、ポテンシャルの塊に見えるでしょう」

 ’12年に春夏連覇を達成した先輩の藤浪晋太郎(現阪神)も、2年夏には不甲斐ない投球で甲子園に辿り着けなかった。

 栄光の裏に、悲劇の敗北あり。それは高校野球100年の歴史が証明している。気の早い話ではあるが、春連覇となれば、’82年のPL学園以来、史上3校目。さらに夏の100回大会を制すれば、前例のない2度目の春夏連覇となる。最強世代にかかれば、そんな偉業も不可能ではない。

(取材・文/柳川悠二)

最終更新:3/30(金) 12:06
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