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開幕を栃木から眺めた 巨人の元4番・村田修一の「いま」

4/3(火) 12:07配信

FRIDAY

「37歳にして初めての一人暮らしです。キャベツの千切りにも挑戦しましたが、野球をやる前に危うく包丁で指をケガするところでした。先日作ったのはジャージャー麺。近所のスーパーでひき肉150gとキュウリ、乾麺を買ってやってみました。我ながらうまくいけたかな。ビールにハイボール、赤ワインで晩酌しながら、3LDKの部屋で一人、今後の野球人生について考えています」

 こう言って笑顔を見せるのは、巨人の元4番・村田修一(37)だ。

 村田は今季から、独立リーグの「栃木ゴールデンブレーブス」でプレーしている。巨人時代の推定年俸は、2億2000万円。だが独立リーグではキャンプ期間中(3月)の月収が上限10万円、シーズン中(4~9月)が40万円とされており、年収は最大でも250万円にしかならない。現在は、横浜市内の自宅に妻と3人の息子を残し栃木へ単身赴任中だ。

「部屋は、不動産屋と相談し自分で見つけました。小山市内のマンションの3階です。恥ずかしながら、当初は家電製品の使い方も分からなかった。炊飯器のスイッチの入れ方は、電機店のオジサンに教えてもらいました。最近では米も自分でといでいます。洗濯機の扱いも難しいですね、ボタンがいっぱいあって。『ふんわりキープ』とか……。朝7時に起きて、午後3時ごろまでチームの練習に参加。終わってからは近所の銭湯に寄り、スーパーで夕飯の買い物をしています。給料が少なくなりましたから、外食はしていない。家族と一緒だと食事の時もにぎやかですが、いまはテレビを見ながら一人の時間を楽しんでいますよ。ただ巨人関連のニュースや新聞記事は、あえて見ていません。巨人は巨人。これからは、ボクはボクで独自の人生を歩んでいくつもりですから」

 村田が巨人の球団職員から都内のホテルに来るよう要請を受けたのは、昨年の10月だ。部屋では鹿取義隆GM、石井一夫球団社長が待っていた。

「若手中心のチーム方針になる。申し訳ないが、来季の契約はしない」

 鹿取GMの口から出たのは、予想もしない戦力外通告だった。

「途方にくれましたね。昨季、自分ではそれなりに成績(打率.262、14本塁打、58打点)を残し、まだやれるという自負がありましたから。家に帰り妻に報告すると、『そうなんだ……』と言葉に詰まりショックを受けているようでした」

 村田は数日後にジャイアンツ球場(神奈川県川崎市)を訪れ、選手やスタッフらに別れの挨拶をした。

「11月には巨人の納会ゴルフに参加しました。杉内(俊哉)や実松(一成)らと同組でラウンドしたんですが、グロス86(ハンディキャップ14.4)で優勝して気分がスッキリしましたね。最終ホールで10mほどのバーディパットを沈めた時は、思わず『オレはまだ持っている!』と両手をあげてガッツポーズをしてしまいました。まだ野球をしたい。プロで現役生活を続けたい。次のステップへ進みオファーを待とうという気持ちに、あらためてなれたんです」

 だが、なかなか他球団から声がかからない。小学生の息子たちから「友だちに『(村田は)どこに行くの?』と聞かれた」と言われ、胸を痛めたこともある。村田は近所の公園でのランニングや、自宅の庭での素振りを繰り返し連絡を待った。

 ようやく独立リーグの栃木から声がかかったのは、年が明けた1月だった。

 3月10日の春季キャンプ初日。村田は、昨年閉校した小山市内の小学校の教室でユニフォームに着替えた。ブランコや二宮金次郎像の置かれた校庭を走り、きしむ木製の床に人工芝のマットを敷いた体育館でバッティング練習に臨んだ。

「野球を始めた小学生時代を思い出しましたね。チームメイトの大半が、一回り以上も年下です。ボクにはコワモテのイメージがあるんで、委縮(いしゅく)されないよう積極的に話しかけています。練習の合間の昼食は、コンビニで買ったおにぎり。練習後は、トンボをかけグラウンド整備もしますよ。巨人では食事の用意やユニフォームの洗濯、用具の準備もすべて球団の裏方さんがやってくれた。ここでは全部、自分たちでやらなければなりません。初心に戻り、毎日新鮮な気持ちで野球をしています。でも満足はしていない。またプロの舞台に戻りたいんです」

 元巨人の主砲が若い選手と泥にまみれながら、支配下登録期限の7月31日までプロからのオファーを待つ。

最終更新:4/3(火) 12:07
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