ピアニストの仲道郁代さん(55)は昨年、デビュー30周年を迎えました。演奏の技術や人柄にファンも多く、子育てしながら一線で活躍。国内外の演奏旅行に連れていったお嬢さんも大学生です。今回は被災地の訪問やワークショップ活動、これからについて紹介します。
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●被災した町のホールに駆け付ける
宮城県七ヶ浜町にある七ヶ浜国際村ホールで、仲道郁代さんは26年前の設立時からレジデント・アーティストとして関わり、コンサートをしていました。長女も赤ちゃんのころから連れていきました。
2011年3月11日に起きた東日本大震災。被害が大きかった地域です。「当時、心配でも迷惑をかけないようにと思って電話できず、いつになったら状況が分かるかやきもきしました。4月に入って、ピアノの調律師を通して地元の人と連絡が取れました」
5月には長女を連れて七ヶ浜に行きました。高台にあるホールの麓までがれきが押し寄せ、車はひっくり返り、家は土台だけに。ホールは避難所になっていました。そこに住宅がある風景を知っていたので、親子で声を失い、現実を受け止めきれませんでした。
「ホールで娘のフルートと私のピアノを演奏すると、座って聴く人もいれば、ボランティアに来ている人がすっと入ってしばらく聴いてまた持ち場に戻る。聴いていると別の世界に行けると言われて。心がふっと落ち着くところを見いだし、力を持って現場に戻る時間になったのなら、それは音楽の力だと思います」
いつもコンサートに来て差し入れしてくれたおばさんが現れなくて心配していたら、2年後に再会できました。炊き出しのために大きな釜を取りに自宅に帰ったところ、津波に流されて入院していたので来られなかったと聞きました。
それから仲道さんは、七ヶ浜町の小学6年生の各クラスに対して、ワークショップを開いています。2012年から毎年、秋に4泊5日の滞在。震災の基金から助成がありますが、スタッフの経費・交通費や宿泊費がかかるので、仲道さんのボランティアです。
「子どもたちに触れると、深い傷を負ったであろう言葉もありました。心の中にある、たぶん一生消えることのない傷とどう向き合うか。そんなときに音楽が力になればうれしい」
震災からの復興を意識して、テーマを決めています。1年目は「未来の七ヶ浜」。どうなってほしいか話し合って音楽を作りました。震災のときに連絡が取れなかった経験から「通信状況のよい街」というアイデアも。2年目は「生きる」という谷川俊太郎さんの詩をテーマにしたワークショップです。
最近は、音楽を聴いて感想を話すワークもしており、「お父さん・お母さんがいなくなって独りぼっち」という話や、音楽を色にイメ―ジすると「白」「誰もいない」「天国みたいに透明」といった言葉が出るそうです。
「家族を亡くしたり、家や仕事をなくしたり。親が働きに出なければならなくなり、環境が変わって子どもたちの心に影響が出ているようです。今の小学1年生ぐらいの子も、赤ちゃんのときだから分からないということはなく、周囲の不安定さの影響を受けていると聞きました」
仲道さんはこう考えています。「音楽によって自分が思っていることを話し、あなたが感じていることは大事だよと周りが肯定してあげる。それによって自己肯定につながります。他人の考えも知り、思いやり合う。共同作業をして違いを見いしたり、作曲家の考えを想像してみたり。クラシック音楽は、すべてのアンテナを立てて受けるものだから、様々な思いを受け止められます」
滞在中の夜には「セブンハマーズプロジェクト」と名付けてピアノの発表会を開きます。大人も子どもも参加できて、仲道さんからワンポイントアドバイス。毎年、3時間以上も盛り上がります。このワークは6年計画だったのですが、町から要請があり続ける予定です。「まだ防潮堤も完成していませんし、公園もできていない。仮設住宅も残っていて景観は変わったままです」と仲道さんは話します。