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衣笠祥雄さん死去 生前に鉄人が遺した言葉「カープは広島の文化」の意味〈週刊朝日〉

4/24(火) 15:42配信

AERA dot.

 広島カープで活躍し、「鉄人」と呼ばれた衣笠祥雄(きぬがさ・さちお)氏が死去した。死因は大腸がん。71歳だった。衣笠氏は19日まで野球中継のテレビ解説の仕事をこなすなど、最後の最後まで「鉄人」の人生だった。

【写真】連続試合出場の世界記録を達成した時の衣笠さん

 2215試合連続試合出場の記録を持ち、1970年代後半から80年代にかけて山本浩二氏と一緒に「赤ヘル打線」を牽引。75年にリーグ優勝した。79年の日本シリーズで球史に残る名場面となった「江夏の21球」では、9回裏無死満塁のピンチに陥った江夏豊氏を励まし、勝利を呼び込んで球団史上初の日本一になった。

 87年に23年間の選手生活を終えて引退。同年に国民栄誉賞を受賞。広島カープ一筋で、背番号3は永久欠番になった。

 引退後もカープ愛は変わらなかった。16年にカープが25年ぶりにリーグ優勝した時は、週刊朝日のインタビューに「カープは広島の文化であり、宝です」と語っていた。衣笠氏が語る「カープは広島の文化」とはどのような意味なのか。当時のインタビューを再掲する。

* * *

 1975年はカープと中日による激闘で、球団史上初のリーグ優勝を決めたのは129試合目でした(当時はシーズン130試合制)。この年は、私も選手として苦しい思いをたくさんしました。

 それでも優勝できたことで、広島の街が大きく盛り上がったのを今でもよく覚えています。球団創立期に資金集めに奔走した初代監督の石本秀一さんが、テレビカメラの前でボロボロと涙を流していた姿は、今でも忘れられません。

 ただ、その年のシーズンオフは何か空しいものがあった。その原因に気づいたのは、年明けの76年1月になってからでした。それは、日本シリーズを制覇した証しである優勝ペナントを手にしていなかったことでした。

 75年は激闘の疲れもあったのか、日本シリーズでは阪急を相手に1勝もできずに敗れました。1月になってはじめて、それがとても悔しくなった。

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最終更新:4/24(火) 18:37
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