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松坂も続くか。プロ野球「記憶に残る復活投手」ランキング1位~5位

4/24(火) 8:11配信

webスポルティーバ

 中日に移籍した松坂大輔が復活の兆しを見せている。その喜びとともに筆者が独自でつけた「記憶に残る復活投手」ランキング。前回の記事で10位から6位までを紹介したが、さらに上位のベスト5に入ったのは往年の名投手ばかり。プロ野球ファンたちの記憶が呼び覚まされるであろうランキングを、1位まで一気にどうぞ!

【写真】「記憶に残る復活投手」10位~6位のランキングは…


◆5位 盛田幸妃(元大洋、近鉄) 

【ケガ(病気)の内容:脳腫瘍】
【復帰後の主な成績:4年40登板、2勝0敗】
【獲得タイトル:2001年・カムバック賞】

◇難病から復活した「奇跡のリリーバー」

 ケガではなく重篤な病気での戦線離脱から復活したレアなケースとして、盛田幸妃を覚えているファンは多いだろう。1987年に大洋からドラフト1位で指名されると、入団4年目から主にリリーフとして登板し、1992年には佐々木主浩との”ダブルストッパー”として活躍。最優秀防御率のタイトルを獲得した。

 しかし、トレードで近鉄に移った1998年のシーズン途中から右足が震えるようになり、脳のMRI検査で直径5センチほどの腫瘍が発見される。手術で無事に摘出できたものの、しばらく右手と右足の自由がきかない後遺症に苦しんだ。

 精神的に不安定な時期もあったが、復帰に向けて強い気持ちでリハビリに励み、1999年4月にはチームに合流。同年10月のシーズン最終戦で、392日ぶりとなる一軍復帰登板を果たし、ファンに感動を届けた。

 さらに、ただ復帰しただけではなく2001年には中継ぎで34試合に登板し、近鉄の12年ぶりとなるリーグ優勝に貢献する。オールスターゲームでは中継ぎ投手部門でファン投票1位に選ばれ、シーズン終了後にカムバック賞を受賞。2017年のシーズン終了時点で、パ・リーグで同賞を受賞した最後の選手となっている。

 翌2002年に現役を引退してからは解説者として活動していたが、2005年に脳腫瘍が再発。一度は除去手術が成功するも、その後も再発と転移を繰り返し、2015年に転移性悪性腺腫のため45歳の若さでこの世を去った。


◆4位 遠藤一彦(元大洋)

【ケガの内容:右足アキレス腱の断裂】
【復帰後の主な成績:5年119登板、18勝30敗28セーブ】
【獲得タイトル:1990年・カムバック賞】

◇すべてのファンが息をのんだ走塁中のアキレス腱断裂

 投手のケガは投げすぎによるものばかりとは限らない。

 1983年に沢村賞を受賞するなど、1980年代に速球とフォークボールを駆使するピッチングで勝利を重ね、「巨人キラー」の異名をとった遠藤一彦。1987年10月3日の巨人戦も、1-0とリードして5回表の大洋の攻撃を迎えた。

 ところが、遠藤が走者として二塁から三塁へ向かう途中に、右足アキレス腱を断裂する大ケガを負ってしまう。片足ケンケンで崩れるように三塁ベースへ飛び込み、激痛に悶える遠藤の姿に、後楽園球場の大観衆、全国中継を見ていた視聴者の誰もが言葉を失った。

 アキレス腱を手術した遠藤は、2カ月に及ぶ入院生活と、懸命なリハビリを経て翌1988年に復帰した。先発としては、その年に5勝12敗、1989年も2勝8敗と低迷したが、1990年に「抑えの切り札」に抜擢されて復活。21セーブを挙げてカムバック賞を受賞している。

 1992年の現役引退試合もやはり巨人戦で、2回を無失点で有終の美を飾った。その試合は「横浜大洋ホエールズ」としての最後の試合でもあり、横浜スタジアムに詰めかけた満員のファンが別れを惜しんだ。
 
 試合中のプレーで大ケガを負った投手としては桑田真澄(元巨人・パイレーツ)も印象深い。1995年6月の阪神戦で、バントの小フライを捕ろうとダイビングキャッチを試みた際に、右ヒジを地面に強打。検査の結果、側副靭帯が断裂していることが判明したためトミー・ジョン手術を受けた。

 リハビリを経て復帰したのは2年後の1997年。遠藤と同じく、勝利を目指した全力プレーで負ったケガからの復活が大きな感動を呼んだ。

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