ここから本文です

ゲームボーイを開発した伝説の技術者・横井軍平「私はなぜ任天堂を辞めたか」

5/5(土) 7:00配信

文春オンライン

 横井軍平氏は、ゲームボーイなどを開発した任天堂の技術者。その海外のゲームファンにも知られている伝説の開発者が、実は任天堂を退社した直後に『文藝春秋』に手記を寄せていた。横井氏は、この記事の掲載の約1年後に交通事故で帰らぬ人となったが、いまもその思想は受け継がれている。

【写真】「ゲーム&ウオッチ」のインターフェイスはニンテンドーDSにそっくり

 任天堂アーカイブプロジェクト代表・山崎功氏による解説「 横井氏が任天堂に残した、玩具メーカーならではのDNA 」も末尾に掲載。

出典:「文藝春秋」1996年11月号

◆ ◆ ◆

任天堂退社前夜の出来事

 さる8月15日、30年以上勤めた任天堂を退社しました。大学を出てからずうっと任天堂で玩具作りにかかわってきたのですが、55歳を区切りに自分のアイデアをもっと自由にいかせる仕事をしようと考えたのです。

 もっとも、新しい門出に、いきなり洪水のような報道が襲ってきました。

 退社する前日に、『日本経済新聞』が私のことを大々的に報じたのです。

 いわく「ゲームボーイを開発した功労者が退社した。鳴り物入りで宣伝した『バーチャルボーイ』失敗の責任をとったものだ」

 いわく「『NINTENDO64』が予想以上に売れていないため、任天堂の利益が大幅に減っている」

 二つの「事実」を並べて読むと、読者には任天堂が大変な苦境に陥り、まるで内紛でも起こっているかのように思えるでしょう。

 実際には、私は「『バーチャルボーイ』失敗の責任をとって」辞めたわけではありません。

 前々から、55歳になったら、独立したいと考えていました。

 ですから、任天堂を恨んだり、憎んだりといった感情は全くと言っていいほどありません。また『NINTENDO64』は、直接私の担当ではありませんから、私の退社と結び付けるべきことでもありません。利益大幅減といっても、今までの利益が大きすぎただけで、これほど大きく報じるべきことなのか疑問に思います。

 しかし、その一方で、世間の任天堂という企業に対する関心の高さにはびっくりしました。新聞や雑誌が次々に取材に来ましたし、講演の依頼もたくさん頂きました。

 その過程のなかで、世間の人々が任天堂と私のどの部分に興味を持たれているかもわかってきたような気がします。

・一体、任天堂成功の秘密は何なのか?

・これからも、あのサクセスストーリーは続くのか?

・会社が大きくなるといろんな歪みがでてくるのではないか?

 ――たしかに、それはどの企業の経営者も、あるいは、どんな立場のサラリーマンでも興味のあることだと思います。実際、この30年間の任天堂で起きたことは「奇跡」でした。ですから、私がこの30年任天堂で何をし、何を考えてきたか、を素直に話せば、こうした疑問にお答えできるように思います。

 初めに申し上げておきたいのですが、私が辞めた瞬間、「山内社長のワンマン体制に嫌気がさした」ととる人が大勢いました。しかし、私は任天堂がここまで大きくなったのは、実はワンマン体制のおかげだと思っています。

1/10ページ

最終更新:5/7(月) 12:09
文春オンライン

記事提供社からのご案内(外部サイト)

世の中を驚かせるスクープから、
毎日の仕事や生活に役立つ話題まで、
"文春"発のニュースサイトです。