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中国の"一党独裁"を許した米国の弱腰外交

5/16(水) 9:15配信

プレジデントオンライン

政治的自由がなく、人権意識も薄い経済大国・中国。なぜ中国が今のような国になってしまったのか。著述家の宇山卓栄氏は「その大きな責任はアメリカにある」と指摘します。問題の発端は1949年10月。当時のトルーマン政権下で対アジア政策を担った、2人の高官の怠慢と誤算があった――。

■国民党を見殺しにしたアメリカの怠慢

 1949年10月1日、毛沢東らの率いる中国共産党によって、中華人民共和国が建国されました。もしアメリカが、戦後の対アジア政策にもう少し本気で取り組んでいたら、同国の誕生はなかったかもしれません。アメリカは、共産主義中国が生まれるのを未然に防ぐことができたにも関わらず、これを半ば放置したのです。

 アメリカは1950年からはじまる朝鮮戦争で、北朝鮮を排除することができず、朝鮮半島の分断を固定化させてしまいました。それに先立ち、アメリカは中国においても、共産党と対立関係にあった右派の国民党を事実上、見殺しにしたのです。

 アメリカのアジア政策は中途半端で、第2次世界大戦終結直後の厭戦(えんせん)気分もあり、ヨーロッパにおいて注力されたような戦略観もなく、危機を放置・拡大させてきました。特に、戦後の中国に対するアメリカの対処は拙劣でした。戦後のアメリカのアジア政策の失敗がそのまま、今日のアジアの危機構造に直結し、われわれを苦しめているのです。

■「日本軍は皮膚病、共産党は心臓病」

 国民党勢力の指導者・蒋介石は戦前、「日本軍は皮膚病のようなものだが、共産党は心臓病のようなものだ」と述べ、毛沢東ら共産党の存在を、中国にとっての最大の脅威と見なしていました。蒋介石は筋金入りの反共主義者でした。

 しかし、日本軍の侵攻が強まると、蒋介石率いる国民党の力だけでは抗しきれず、蒋介石はやむを得ず、共産党と手を組みます(1937年、第2次国共合作)。

 第二次世界大戦の終戦後、日本という共通の敵がいなくなったことで、国民党と共産党は再び争いはじめ、国共内戦が始まります。戦時中から、毛沢東ら共産党は各地の農村に基盤を築き、巧みな宣伝活動で労働者の支持も得ていました。また、ソ連の支援も受け、勢力を伸長させていました。共産党の勢いは強く、放っておけば、中国が赤化統一されることは明白でした。

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