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麻生大臣が致命的な「問題発言」を繰り返す理由が分かった

5/16(水) 11:00配信

現代ビジネス

繰り返される問題発言

 前財務次官のセクハラ問題を受けて、麻生財務大臣の発言がたびたび物議を醸している。

 例えば、既に財務省がセクハラを認定した後になっても、「(福田氏)本人が、ないと言っている以上、あるとはなかなか言えない」「はめられた可能性は否定できない」「セクハラ罪という罪はない」などと、平気で暴言を繰り返している。

 発言の一部は、後になって撤回、謝罪したが、自民党のなかからも批判が噴出している。

 また、問題発言の撤回や謝罪は、麻生大臣の「お家芸」のようなもので、これまで何度も繰り返しているのに、まったく過去の失敗から学んでいないようだ。

 このような発言をするのは、当然、女性に対してのゆがんだ認識、ハラスメント行為や人権に対しての浅い認識があるからであって、そうした自分の問題を改めようという姿勢もないようだ。

 事実、財務省で幹部対象に実施されたセクハラ研修にも大臣の姿はなかった。

発言内容を分析してみると…

 ここに挙げた問題発言を分析すると、いろいろな特徴が見えてくる。

 まず、最初の2つの発言であるが、本人は福田氏を弁護するつもりで、あるいは多様な見方があることを示すつもりでの発言だったのかもしれず、本人なりにいろいろと考えてはいるのだろう。しかし、そこに決定的に欠如しているものがある。

 それは、「共感性」である。共感性とは、他者の感情を思いやって、それを共有する能力のことをいう。

 こんなことを言えば、聞いている人は何を思い、どう感じるのか、とりわけ被害者はどう感じるのか、こうしたことに思いを馳せることのできる能力のことだ。この能力があれば、あのような暴言は出てこないだろう。

 一方、これらの発言を聞いて、不快に思ったり批判をしたりしている多くの人々は、共感性が働いたからこそ、自分とは直接関係がなくても、その発言内容のあまりの酷さに唖然とするのである。

 そして当人は、そのことを周囲から批判されても、まったく理解していないかのような顔つきである。

 だから、同じ過ちを繰り返すのであるが、いくら言葉で伝えても、心に響いていない様子である。まさに、右から入って左へと抜けているような有様である。

 さらに、「セクハラ罪はない」という発言であるが、その後しぶしぶ謝罪したものの、当初は批判を受けても、本人は「事実を述べただけ」と強弁を続けていた。ここにも共感性の欠如は如実に現れている。

 たしかに事実を述べただけかもしれないが、それに対して受け取った人がどう感じるかという視点がまったく抜け落ちているのである。

 当たり前のことだが、事実であれば何を言ってもいいわけではない。そこには、共感性欠如に加えて、未熟な幼児性とも言える問題が指摘できる。

 子どもは、平気で相手の身体的欠陥をあげつらって笑いものにしたり、「言っていいこと」と「悪いこと」の区別がつかず、人前で口にすべきでない言葉を大声で述べて、親をハラハラさせたりする。

 例えば、小学生が「ウンコ」などと言って大笑いしている姿は、いつの時代にも見られる幼稚な言動である。

 しかし、成長につれて、親のしつけが内面化され社会化が進み、周りの反応などを敏感に察知する能力も身につけて、こうした発言がなくなっていく。これが、大人が身につける分別であり、良識というものだ。

 大人が人前で「ウンコ」と言ってみろと言われたら、不安や羞恥心を抱くだろう。現に、この原稿を書いている私もそのような気持ちを感じながら書いている。

 「事実を述べただけ」と開き直って強弁する姿には、「嘘じゃないもん。だって本当なんだもん」などと言って、親の言うことをきかない未熟な子どもの姿を重ねてしまう。

 ハラハラして不快になっているのは周囲のみで、本人はそれを感じていないのだ。

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最終更新:5/16(水) 11:00
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