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「もう一度、YMCAがやりたくて」西城秀樹さんが挑んでいた過酷なリハビリ現場

5/17(木) 13:43配信

FRIDAY

 歌手の西城秀樹さん(本名:木本 龍雄さん)が、5月16日、急性心不全のため横浜市内の病院で亡くなった。西城秀樹さんといえば、郷ひろみ、野口五郎と共に「新御三家」と呼ばれ、70年代にはトップアイドルとして活躍。

「傷だらけのローラ」や「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」などのヒット曲で幅広い層から支持される人気歌手だった。

 しかし、03年、スーパーアイドルを脳梗塞が襲った。当時は、舌がもつれ言語の発音に軽い障害が出たものの、3ヶ月で奇跡の復帰を果たした。だが、8年後の2011年に再発。この時は、一度目とは比較できない大ダメージを受ける。

 フライデーでは2016年、『密着 西城秀樹「もう一度、YMCAがやりたくて」』と題し、リハビリに励む彼の姿を報じた。

 今回は特別に、当時の記事を再録し、西城さんが復活へいかに熱い思いを持っていたかを伝えたい。
 ※西城さんの年齢を含め、当時のまま掲載します。



 「無理だって……もうイヤだ……」

 腹の底からなんとか絞り出した。か細い声の主を白衣の男が懸命に励ます。「まだまだ!」「無理だよ」「やろう!」

 ほどなくして、それは声にならない悲鳴に変わった。

 キャッチフレーズは「ワイルドな17歳」。肉体派アイドルのはしりであり、’70年代を代表する歌手の西城秀樹(61)は日々、過酷なリハビリトレーニングに取り組んでいる。

「苦しい、つらい……とにかくつらい。でも、これをやらないと絶対治らないから。サボッたら治らないもの。前に進めない。ここまでやってきたことがムダになるから。繰り返し、繰り返し……ね。でも、やっぱりつらいな」

 何がつらいって……元アイドルは息も絶え絶えに続けた。

「いつまでっていう期限が決まってないこと。3ヵ月後に治る、半年後に治るっていうのなら、どれだけリハビリがキツくても、なんとか我慢できるよ。でも、いつよくなるか自分でもわからない。こんな苦しい思いを、まさかこのトシになって体験するなんてね……」

 広島県出身。’72年『恋する季節』で歌手デビュー。以降、『情熱の嵐』『傷だらけのローラ』とヒット曲を連発し、郷ひろみ、野口五郎と並ぶ「新御三家」の一人として人気が爆発した。’74年に放映されたドラマ『寺内貫太郎一家』(TBS系)では主演の小林亜星とのバトルが話題を集め、初の主演映画『愛と誠』(同年)では相手役に4万人が応募した。NHK紅白歌合戦に18回出場。’79年リリースの『ヤングマン(Y.M.C.A)』は80万枚の大ヒットを記録した。

 そんなスーパーアイドルを脳梗塞(のうこうそく)が襲ったのは’03年のこと。このときは舌が少し、もつれる程度と症状は軽く、3ヵ月で復帰を果たしたのだが――8年後の’11年、再び秀樹を襲った脳梗塞は、1度目とは比較にならないほどの大ダメージを彼に与えた。

「なんて表現したらいいのか……とにかく、身体が重くて痛くて、キツくてダルい。あの苦しみって、伝えようがないなあ。とにかく、1回目のときと比較にならなかった。これは何だよ……と目の前はもう真っ暗で」

 身体の筋肉がロックしてしまい、歩くどころか、立つことさえままならない。当然、手も動かない。マイクが持てない。

 マネージャーとして30年以上、傍(かたわ)らに居続けた片方秀幸氏は「1回目は投薬と安静で回復したのですが、2回目はどうにもならなかった」と回顧した。

 2度目の脳梗塞を発症してから、「ここにいいトレーナーがいる」と紹介されれば駆けつけ、「こんな治療法がある」と聞けばすぐに実践した。そんな日々を3年過ごしたが、症状は改善しない。

 もうステージには立てないのか。

 絶望の淵にいた秀樹に昨春、一筋の光明が差し込んだ。知人を通じて、脳梗塞などによる麻痺の機能回復を目指すリハビリジム『フリーウォーキングメディカル』の大明龍八(おおあけりゅうや)院長を紹介されたのだ。「どうせ、うまくいかないんだろうな」と半信半疑だった秀樹に大明氏はいきなり、こう言い放った。

「いいですか、秀樹さん。もう一度、立って歌えるよ。YMCA、できます!」

 秀樹が当時を振り返る。

「すぐには信じられなかったね。でも、先生は自信満々に『アクションやれるよ』と言う。しつこく何度も。じゃあ、信じてみよう、もう一度昔みたいにやってやろうって腹を決めました」

『フリーウォーキングメディカル』では通常は別個で行う「筋力強化・機能回復」「関節靭帯強化」「神経再生」の三位一体のプログラムを同時に進める。特筆すべきは秀樹も悲鳴を上げたここ独自の「空中トレーニング」(3枚目写真)だ。

「足を地上から離して身体を宙に浮かせた状態にすると、人間は無意識にバランスを取ろうとする。この無意識の動きによって普段は眠っている細胞や神経が目覚める。神経の再生を促し、筋力の復活につながるんですよ」(大明氏)

 成果はすぐ現れた。開始1ヵ月で立つことが可能となり、2ヵ月経つと補助付きで歩けるようになった。感激した秀樹は「奇跡だ」と言った。

 大明氏が、かぶりを振る。

「奇跡ではないんです。3ヵ月丸々くれたら、回復させる自信がありますよ。現在も秀樹さんは忙しいから。私の目標は、年内に走れるようにすることです」

 だが、その目標達成のために用意されたメニューは過酷だ。たとえば本誌が秀樹に密着したある日の内容は次の通り。

 まずは鍼灸。苦痛の表情を浮かべる秀樹を尻目に、「まだまだ序の口」と大明氏は笑う。これが1時間弱。次に休む間もなくマシンを使用した筋力トレーニングが始まる。腰、ヒザ、足首、大殿筋に内転筋と、下半身に負荷をかける。ノルマはいずれも100回ずつ。

「やらないと解放してくれないから(笑)」と秀樹は口をとがらせた。たしかに脳梗塞の患者には酷(こく)に見えたのだが、大明氏は否定する。

「西城さんがトレーニングを始めて1年、筋肉や細胞が動き始めている。引き続き、いろんな箇所をまんべんなく鍛えて動かして、刺激を与えることが大切。だから回数を多く設定しているんです。限界までやるんです」

 吊(つ)るされたロープで身体を固定し、その状態で歩行、さらに「もも上げ」を行うトレーニングが始まると、秀樹は呻(うめ)き声を上げた。そして「限界」が訪れる。

 冒頭はそのシーンである。

「昔、野外コンサートでね、ヘリコプターからハシゴを降ろして、ステージに舞い降りるなんてムチャな演出をしたことがあった。怖くて、『二度とイヤだ』と思ったけど、このトレーニングと比べたら全然イヤじゃないね」

 2時間近く行われたリハビリトレーニングの仕上げは関節や靭帯を強化するマッサージだ。

 単に身体全体をほぐすそれではなく、スポーツマッサージに近い施術に再び、悲鳴が上がった。疲労困憊(ひろうこんぱい)で、抜け殻のようになった秀樹がボソリと言った。

「夏になったらね……子どもを連れてハワイに行きたい」

 長らく独身貴族で通した秀樹が結婚したのは’01年。3人の子たちは長女がまだ中学生だ。風呂に入れば背中を流し、暗い道では手をつなぐ。幼いながら、アシストしてくれている我が子たちに報いたい――。

 かつて秀樹が「夏男」と呼ばれた時代があった。恒例の大阪球場のコンサートは真夏の風物詩でもあった。

「夏が近づくとね、毎年『今年もやるぞ』って思う。だから、今年の夏はね、やるよ。期限を決めたら、やりがいが出る。だから、負けるわけにいかないよね」

 最後にやっと“夏男”は、太陽のような笑顔を見せた。

取材・文/細田マサシ
撮影/小松寛之
取材協力/脊髄損傷・脳梗塞リハビリジム『フリーウォーキングメディカル』
(2016年6月17日号より)

最終更新:5/18(金) 13:49
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