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あの明徳スターが「もう野球は絶対やらない」からプロ再挑戦に至るまで

5/20(日) 8:30配信

webスポルティーバ

 3月31日に、2018年シーズンが開幕した四国アイランドリーグplus。昨年、独立リーグ日本一に輝き、ドラフトで伊藤翔(西武3位)、大蔵彰人(中日育成1位)の2名をNPBに送り込んだ徳島インディゴソックスには、今年も楽しみなルーキーが揃っている。

■歌って踊れるプロ野球選手が誕生か?

 横芝敬愛高時代、先述した伊藤の先輩にあたる鎌田光津希(みずき)、“ミュージカル俳優”という異色の肩書を持つ和田一詩(かずし)……。そんな“個性派”ルーキーのなかで、野球ファンに最も名が通っているのが、岸潤一郎(きし・じゅんいちろう)だろう。

 小学生時代はオリックスバファローズジュニアに選出。西淀ボーイズ(大阪)を経て、進んだ明徳義塾高(高知)では、投手として名将・馬淵史郎監督のもと、1年夏(2012年)を皮切りに計4回甲子園に出場した。

 高校卒業後は、馬淵監督の母校・拓殖大に進学。順風満帆――そう形容しても何ら違和感のない野球人生を歩んでいたが、昨秋、大きく風向きが変わった。野球部を退部し、大学からも去る決断を下したのだ。

「完全に気持ちが切れてしまって……。もう野球は、絶対にやらないと思っていました」

 3月中旬のある日。岸は凛とした表情を崩さず、そして包み隠すことなく、当時の心境を振り返った。

「馬淵監督に『4年後にドラフト1位でプロに行けるような選手になってこい』と送り出していただきました。ただ、ヒジを手術したこともあって、苦しい時期が続いてしまって」

 大学入学後、最初に異変を感じたのは肩だった。その肩を無意識にかばううちに、今度はヒジにも支障をきたす。肩の状態が上向くとヒジが痛む、ヒジが良化すると今度は肩の痛みが再発する……。そんな一進一退の日々の果てに、右ヒジの痛みが限界に達し、トミー・ジョン手術に踏み切った。

 手術を終え、リハビリに明け暮れる生活がスタート。先の見えづらい日々を過ごすうちに、岸の気持ちは、次第に野球から離れていった。

「プロを目指して野球をやっている人間が、楽しい、楽しくないといった基準でやるべきじゃないのはわかっているんですが、手術をしてからは、どんどん『野球を楽しむ』という感覚がなくなっていきました。ここで完全に気持ちが切れてしまって」

“甲子園の申し子”。そんな表現もされた岸と野球の間に生じた埋められない溝。当然、周囲は引き留めたが、岸本人の気持ちは変わらなかった。そして、3年生の秋に野球部を退部した。

「そのときは『もうプロを目指して野球をやることはないだろう』と本気で思っていました。大学の野球部を退部するときに、グラブやバットもほとんど人に譲りました。それくらい気持ちが野球から離れていました」

 手元に残した野球道具はバット1本のみ。それも「草野球に誘われたときにでも使おう」という理由からだった。この時、“本気の野球”への未練は一切なかった。

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