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「3つの家庭」を持っていた田中角栄 女性に恨まれない“モテる秘訣”とは

5/22(火) 8:00配信

デイリー新潮

 田中角栄元総理が新潟県で生まれたのは1918年のことで、今年は生誕100年に当たる。今太閤、闇将軍、金権政治家。様々な顔を持つ角栄には「金と女」に関し、独特の流儀があった。そして、そこにこそ、多くの人が彼に魅了される理由が隠されていたのだ。

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 特筆すべきは、角栄はただ金を配って恩を売るだけではなく、相手の心まで鷲掴みにしてしまうことがままあったという点である。

 政治評論家の小林吉弥氏が語る。

「田中派のある若手議員が、女との不始末の清算でどうしても100万円の現金が必要になった。しかし自分ではすぐにそろえられず、角栄に電話して借金を申し込んだところ、彼は話を半分まで聞いたところで“分かった。金はすぐに届けさせる”と応じたそうです」

 30分ほどで秘書が紙袋を届けに来た。開けると、そこには本人が申し込んだ額の3倍の300万円の現金が入っていた。

「角栄によるメモも添えられており、こう書かれていた。“一、まず100万円でケリを付けろ。二、次の100万円はお前の不始末で苦労した周りの人にうまいものでも食わせてやれ。三、次の100万円は万一の時にとっておけ。四、300万円全額の返済は無用である。”若手議員は涙しながらそのメモを読んだと言います」(同)

 その“情”に感服した若手議員は角栄に殉ずると決心し、実際、最後まで彼を支え続けた。こうした人づき合いの方法は女性に関しても同様であった。

角栄の「3つの家庭」

 角栄は「3つの家庭」を持っていた。本妻であるはな夫人、神楽坂芸者だった辻和子さん、そして、金庫番でもあった佐藤昭女史。3人の女性との間にそれぞれ子供をもうけ、破綻することなく関係を継続できた理由こそ、角栄の“情”だった、と先の小林氏は言う。

「角栄は情の人ですから、3人の誰に対しても同じように大切にした。彼の金と女の扱いで見えてくるのは、常に情を持って相手に心を配っていたということ。それこそが角栄の神髄だったのです」

 史上最強の後援会と謳われた「越山会」の関係者は、角栄から次のように言われたことがあるという。

「外で遊んでもいいから、母ちゃん(妻)を大事にしろ。ただし、その遊びは本当の遊びじゃダメだ。女ともめるのは、夜、一生懸命汗をかかなかったからだ。母ちゃんにも女にも汗をかけ」

“汗をかけ”とは、つまり夜の営みのことで、

「角さんの愛人として名が知られているのは、佐藤昭さんと辻和子さんですが、それ以外に別の女もいたようで、“全員にそんなことをしていたら身が持たないでしょう”と聞くと、“お前らとは鍛え方が違うんだよ”と言っていました」

 越山会関係者はそう振り返る。

「他に記憶に残っているのは、お土産のマメさです。相手の女性が何が好きなのか、色やブランドの好みが全て頭に入っていて、行く先々でそれぞれの女性たちに合ったお土産を大量に買うのです。秘書に買わせることもありましたが、必ず自分で渡していましたね」

 あろうことか、角栄は佐藤昭女史に「女性関係」の処理を頼むこともあった。

「ある時、角さんが昭さんに対して、“もし俺のことで女が来たら、お前が応対してくれ”と言ったことがあったそうです」

 そう話すのは、ロッキード事件で逮捕された後、初めて角栄の肉声を報じた佐藤修氏(現・モンゴル日刊紙東京特派員)である。

「私が昭さんに、実際に女性は来たのかと聞いたら、“2人来ましたよ。でも私が応対してお引き取り願いました”と言う。おそらく金で解決したのでしょう。何度も角さんの酒の席についた芸者によると、“それはそれはモテた”そうですから、赤坂の芸者の中には世話をした人が少なからずいたのだと思います」

 情に厚く、金離れの良い角栄が女性にモテたのは当然と言えば当然。その宴席は常に明るい酒だった。

「角栄が芸者遊びをしている時は常に笑いが絶えないので、他の座敷にいる芸者たちが角栄の座敷に移りたくてそわそわしていた、と言います」

 先の小林氏はそう語る。

「また、角栄は一度“ノー”と言われたらネチネチ深追いしたりはしないので玄人筋に好まれた。“政治家さんは苦手だから”とやんわり拒否されたらすぐに手を引く。しかも次に会った時、“少しは政治家を好きになったかい?”なんて冗談を飛ばすので、お互いに気まずくなることもないのです」

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最終更新:5/22(火) 10:45
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