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なぜロンドン・パラリンピックのチケットは史上初めて完売したのか? 乙武氏が世界中を放浪して気づいたこと

5/22(火) 9:00配信

週刊SPA!

 5月20日、『週刊SPA!』の創刊30周年記念イベント=SPA!フェスに、’13~’14年にかけて本誌連載『八面六臂』で、女装姿などをさまざまな一面を披露してきた乙武洋匡氏が登場。2年前の“大騒動”後、世界中を放浪して目にした海外のバリアフリー事情などについてマシンガントークを繰り出した!

⇒【写真レポート】運転席のボタン1つで車イス用のスロープが登場するロンドンのバス

 そのトークショーはのっけからブラックジョーク満載……。「手足がないのに『八面六臂』ってふざけた連載でしたよね」と言いながら、不倫騒動についても言及。「あれだけフルスイングで叩かれた障碍者っていうのは、ギネス記録ものかもしれませんね(苦笑)」と振り返りつつ、当時の生活ぶりを明かした。

「ずっと家に籠っていたんですよ。家の前には週刊誌記者がずっと張ってるから。外に出れば、美容院にもラーメン屋にもついてくる。正直、しんどいなと思って、思い切って昨年3月から海外に飛び出そうと考えたんです」

 それから1年で、訪れた先は37の国と地域。最初の訪問先はロンドンだった。ロンドンを選んだ理由は、実に乙武氏らしい。「’12年のロンドン・パラリンピックで、パラリンピック史上初めてチケットを完売させた」都市だったのだ。

「何が成功の秘訣だったのか、知りたくて当時の大会の総合ディレクターを務めたクリス・ホームズさんという、全盲のスイミングのメダリストを訪ねたんです。今では彼は上院議員。招待されたのは、英国の議事堂があるウェストミンスター宮殿でした」

 クリス・ホームズ氏は2つの成功ポイントを明かしてくれたという。パラリンピックは“感動の物語”として扱われがちだったが、健全なパラリンピックの発展を考えて、競技としての素晴らしさをアピール。そのうえで、ロンドン・パラリンピックの前年に、パラリンピックのプレ大会を開催したのだ。「本大会が一般客にとって、“未知との遭遇”になるのを避けるため」だった。一度、プレ大会でその面白さをロンドン市民たちが知ったことが、ロンドン・パラリンピックの成功に繋がったというのだ。

 本大会にむけて、ロンドン市内のバリアフリー対策も急速に進展。ロンドン市内の地下鉄にはエレベーターさえ設置されていなかったが、’12年パラリンピックまでに4~5割の普及率に達した。地下鉄のホームも車イス利用者を想定して、一部ホームのかさ上げを行い、電車との高低差をなくしていったのだ。

 ただし、在来線に関しては日本と同様、駅員が車イス用のスロープをその都度、設置するかたち。日本では乗車した駅から、降車する駅に車イス利用者の情報が伝わり、待ち構えている駅員によってスムーズな降車が可能だが、「イギリスの場合は3回に1回は、情報が伝わっていないのか、駅員がいなかった(笑)」とか。それでも、乙武氏がさほど不自由なく生活できたのは、周囲の乗客が率先して、降車や階段の上り下りまで手伝ってくれたから。

「僕の車イスは特別性で100kgもある。僕の体重を含めたら140kgあるのに、4人の男性が協力して運んだりしてくれたんです」

 乙武氏が「ぜひ日本もマネしてほしい」と話したのは、ロンドン市内のバス。運転席からボタン操作1つで、車イス用のスロープが飛び出る仕組みだという。「日本だと、運転手がスロープを設置して乗り降りさせてくれるけど、時間がかかるので利用者からすると他の乗客に対して少々肩身の狭い思いをすることが少なくない」のだ。

 日本と異なるのは、「時に不自由さを全員で共有する文化」が根付いている点だ。ロンドンでは朝の通勤ラッシュ時でも、満員電車は発生しにくい。ロープを貼って乗車制限をかけるためだ。当然、待たされれば通勤時間は長くなってしまうが、これはみんな一緒。車イス利用者も列に並んで乗車する。満員にならない分、肩身の狭い思いをすることもないというのだ。

 このような文化は、公共交通手段以外でも垣間見えた。

「あるとき、16時50分ぐらいに薬局に入ったら、『17時、閉店するからね』とくぎを刺される。それも、16時57分になると『あと、3分だよ』と追い打ちをかけてくる。これには、正直イラッときたけど、ある意味、健全だなとも思ったんです」

 残業しないイギリス国民は17~19時にかけてパブに繰り出して1、2杯のビールを煽り、19時には帰宅して家族と夕食を共にするという。土日は完全にオフ。そのため、水回りのトラブルが発生した場合には、修理業者が週明け月曜日にならないと来ないことも……。日本では24時間対応のサービス業者も少なくないが、イギリス国民からすれば「夜中まで働くなんてバカでしょ」という発想。不便だけど、みんなで受け入れようという考え方なのだ。

「そのため、過労死って表現がない。英語でも『Karoshi』なんです。イギリス人のみならずヨーロッパの人々はすごくオン、オフの分け方が上手で、オフの楽しみ方も充実している。日本が学ぶ点は多いと感じました」

 小学校の教員を務めた経験を持つ乙武氏ならではの視察先も披露された。

「ケンブリッジにMBA留学している友人にも会ってきたんです。その友人が言うには、座学は飛びぬけてレベルの高いものではない。一番の学びは、世界各地から来ているさまざまな国籍の人たちと、さまざまなプロジェクトを並行してやらされる点にある、と。そうすると、国によってまったく文化や発想が違うことがわかるんです。インド人は課題をやってこなかったり、チリ人になるとミーティングにさえ来ないこともある(苦笑)。そのなかで、日本人は圧倒的に英語が苦手。仲間内でも『よく英語がしゃべれないのに、ここに来たな?』とか言われることもあるそうなんです。でも、英語が苦手な人が仕事もできないというわけではない。日本人は規律を守る真面目な一面がある。英語ができる人を動かして、プロジェクトを管理するなど、日本人ならではの立ち回り方があるんです。私はこれを聞いたときに、グローバル人材を育てるって、こういうことなんだなと感じました」

 日本ではとかく、「グローバル人材の育成≒英語教育」と考えられがち。だが、乙武氏は「国籍、文化、発想の異なる人たちのなかで、自分の立ち回り方を知ることが、本当のグローバル教育」だと気付いたようだ。

 こうした教育者的視点は、今回のトークショーで随所に垣間見えた。フランス旅行の際には、マクロン候補が激戦を制した大統領選挙を取材。勝利演説のときに、「小学生が憧れのプロ野球選手のように、マクロンさんを見ているのが印象的だった」という。フランスでは小学生時代から家庭内で政治談議をするのが一般的。政治と宗教の話はタブーのように扱われる、日本とは大きく異なる。

 オランダはソフトドラッグも買春も合法化されている国として有名だが、「これはすべてが国民の判断に委ねられている」から。言い換えれば、「大人な国」だ。乙武氏が視察したオランダの小学校では、1クラスを2人の教員がワークシェアリングをしながら受け持っていたという。「教師に話を聞くと、子供だって大人と相性がある。だから、2人ぐらいいたほうがいいじゃん、という考え方でした(笑)」

 その小学校の教育カリキュラムも興味深い。

「午前は基本的に“個別学習”。小学生が自分で、自分の時間割を考えるんです。日本でやったら、おそらく何をしたらいいかわからず、『休み時間』ばかりの時間割りをつくる子が続出するでしょう。けど、オランダでは一人一人が図鑑を手に取って勉強したり、教室に1台だけあるパソコンで調べ物をしたりするんです。なぜ、これができるかというと、幼稚園児のときから『外でサッカーをする』『絵本を読む』といったいくつかの選択肢を用意して、それぞれの園児が“遊びの時間割り”を組む。自分で考えて判断する力を、小さい頃から養っているんです」

 ユニークなのは、小学1~3年生混合のクラス割りを採用している小学校もある点だ。自然と、3年生が1、2年生の面倒を見る機会も増える。

「体の大きさもバラバラだし、3年生は勉強ができて、1年生は勉強がまだできない、ということも当たり前のように学べる。そうすると、イジメが起こりにくくなるんですよ。だって、“できない子”がいて、当たり前なんですもん。できない子をイジメようと思ったら、1年生全員が対象になってしまう。この教育方針を魅力に感じて、一家でオランダに移住された日本人家族にも会いました。帰化申請をするつもりだって言うので、子供が母国で暮らす選択肢を奪うんじゃないですか?ってイジ悪な質問をしてみたんですけど、『そんなことを気にするのは日本人ぐらいだけですよ』って言われちゃいました。移民国家のオランダにはいろんな人がいるから、日本人だからと浮くこともない。オランダ語はしゃべれないけど、英語はしゃべれるというオランダ人も多い。これが本当にグローバルな国民性なのかなと感じました」

 教育者としての視点に加えて、時に差別されることも少なくない障碍者ならではの視点を披露するのが乙武氏の真骨頂だ。ポーランドのアウシュビッツを訪問したときには、「実際にはユダヤ人だけでなく、ポーランド人の政治犯や障碍者、ゲイなどの性的マイノリティー、そして『ロマ』と呼ばれるジプシーたちも虐殺されたことを初めて知った」という。

 イスラエルではユダヤ教徒が保守的な暮らしをするエルサレムの中心街や地中海に面した開放的な都市テルアビブを訪問。その2都市のLGBTに対する受け止め方にはカルチャーショックを覚えたとか。

「保守的なユダヤ教徒の方たちは、LGBTに否定的なんです。その聖地であるエルサレムに住む人たちは特に……。東京で毎年行われているLGBTによる『レインボープライド』のようなパレードが、エルサレムでも行われているのですが、その参加者の一人がユダヤ教徒に刺殺されたこともある。一応、市街には2、3軒のゲイバーがあるんですけど、数か月に1回程度の割合で、襲撃事件が発生するらしいんです。一方で、テルアビブは真逆の雰囲気。地中海に面していることもあって、開放的なんです。水着のお姉さんが自転車に跨っている感じと言えば、伝わるでしょうかね。だから、ものすごくLGBTにもフレンドリー。そこかしこで手を繋いでいる同性カップルも見かけました。面白いことに、イスラエルは世界有数のスタートアップ大国として知られているんです。イスラエルは周りを敵対するアラブ諸国に囲まれています。自立するには、圧倒的な軍事力を持つ必要があった。それで、新たなテクノロジーを育てるべく、AIや医療などのベンチャーを国をあげてバックアップしてきたんです。倒産しても、食っていけるようにフォローもしている。このテルアビブを、僕は『火種を抱えたシリコンバレー』と名付けました(笑)」

 乙武氏はイスラエルと敵対するパレスチナにも足を運んでいる。それも、一般には立ち入りが困難なガザ地区に。

「数日おき、数か月おきにミサイル攻撃を受けて、建物が壊されるんです。それも、イスラエル軍が持ち込みを許可した物資しかガザに入ってこないので、建築資材が確保できず、立て直しもできない。じゃあ、何がガザに入ってくるか?というと、イスラエルで売れ残ったものなんです。何年前のもの?っていうぐらい、古いブラウン管のテレビや洗濯機しか入ってこない。それなのに、ガザの人々の手にはスマホがある。スティーブ・ジョブスって本当にスゴイな!って、思いましたね」

 さらに、アメリカのニューヨーク訪問時のエピソードや、インドの聖地バラナシで“世界一危険なお祭り”に参加した話、ルワンダでは屈託ない子供たちに手足を触られまくった話などを披露した乙武氏。だが、「最も住みやすい」と感じたのはオーストラリアのメルボルンだという。

「正直言うと、移住を考え始めていたんです。プライベートな問題でやいのやいの言われて、日本ではやりたいことができなくなっていたので。候補地は3つありました。1つ目はバルセロナ。サッカーも見られるし、海もある。ただ、直行便がなくて、英語圏じゃないのでイチからスペイン語を学ぶ必要がありました。2つ目はイスタンブール。物価が安くて、市内を走るトラムという路面電車は、車イス利用者としては便利でした。ただ、バルセロナ以上に英語が通じない……。3つ目はサンフランシスコ。西海岸は抜群に気候がいいし、バリアフリー対策も世界一。LGBTにも寛容です。ただ……家賃が高すぎ! 家賃が払えなくなって、ホームレスになってしまった人も多いんです。どこも一長一短ですね。そのなかで、メルボルンは別格でした。住んでよし、直行便もあり、時差は東京と1時間で、日本とやり取りするのにも適しています。移民が多く、特にチャイニーズ系が多いので、メシが抜群にウマイ! 差別感情が薄いと言われるロンドンでも、人種間のヒエラルキーのトップは白人。でも、メルボルンは町全体を移民たちと一緒に作ってきたという意識が強いので、みんな仲間という考え方。海に行けば、水着の“上”を外して寝転んでいるお姉さんもいる(笑)。これは移住するしかない!って思ったんです」

 だが、その考え方は滞在3週間で逆転する……。

「都市として恵まれすぎて、退屈だと思ってしまったんです(苦笑)。障碍のある人、そうでない人も平等なはずなのに、やれることとやれないことが出てきたり、そもそも選択肢が与えられなかったりする社会を変えたいという思いがずっとあるんです。同じだけの自由と権利が保証される当たり前の社会にしたいと思って、2年前まで僕としてはやってきたつもりなんですよ。自分のプライベートのだらしなさが災いして……そういうことをやらせてもらえなくなってしまったんですけど、僕は生きづらさを感じるぐらいのほうがワクワクしてしまうんです。それで、日本に帰ってきてしまいました。この日本の現状を指を咥えて見ているわけにはいかない、と。まあ、咥える指はないんですけど(笑)」

 最後に付け加えておくと、乙武氏以上にユニークだったのは、トークショーの参加者たちだった。

「プロ自由じん」(@hiroyamiaz)さんは前日に「乙武さんの話聞きに東京まで行ってきます 誰か乗せて」とヒッチハイクする様子をツイッター上にアップ。実際には夜行バスで駆けつけたが、「お金がないので、帰りはヒッチハイクで帰ります」とコメント。「うつ病になって引きこもっていたんですけど、AbemaTVの『エゴサーチTV』という番組に出演した乙武さんが『自分を変えるために環境を変えた』という話しているのを聞いて、東京に行って乙武さんに会うことで自分の環境を変えたいと思った」のが、急きょ大阪から駆け付けた理由だったという。

 障碍を抱えながらも車イスで駆けつけた「いけぴー」(@ikep_second)さんは、中学生時代に講演で乙武氏が徳之島を訪れた際に初めて対面。その後、東京に移住したため、「十数年ぶりに乙武さんに会おうと参加させてもらいました」と話していた。「2年前の騒動も、僕としては乙武さんらしいなぁという印象しかなかった(笑)。ああいう体なのに、『安定した生活がつまらない』って言ってのけるのも、すごい乙武さんらしくて面白いと思った」という。

 トークショーで乙武氏は数々のグローバルで多様性に溢れた国々を紹介してくれたが、それ以上に多様性に溢れていたのがトークショーの参加者だったのだ!

取材・文/池垣 完(本誌) 撮影/山田耕司 ※海外写真は乙武氏より

日刊SPA!

最終更新:5/22(火) 15:33
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