ここから本文です

天候は良好、ルートも原因ではない… 栗城さんは、なぜ亡くなったのか?〈AERA〉

5/24(木) 11:38配信

AERA dot.

 登山家として、特筆すべき実績を残してきたわけではない。それでも、彼のfacebookページに書き込まれた死を伝える投稿には、わずか1日で2万6000を超えるアクション(「いいね」などの反応)と3千件以上のコメントが寄せられた。

 栗城史多さん、35歳。5月21日、8度目のエベレスト挑戦の途上で帰らぬ人となった。栗城さんは大学山岳部で登山をはじめ、これまでに7大陸最高峰のうちエベレストを除く6つを制覇。8千メートルを越える高峰にも、4度登頂してきた。

 栗城さんは「冒険の共有」を掲げ、登山の様子のライブ配信などに取り組んできた。2012年、エベレストで重度の凍傷にかかり手の指9本を失ったのちも登山を続け、2014年には中国・パキスタン国境の高峰ブロード・ピーク(8047メートル)の登頂に成功。登頂の瞬間は、無線を通じてベースキャンプに届く栗城さんの声が生配信され、多くのファンが見守った。

 10年来のファンだという30代の女性は、栗城さんの魅力についてこう話す。

「チャレンジし続ける姿勢に注目していた。挑戦する彼を応援することで私も元気になれる」。

 栗城さんは、自らの挑戦を積極的に発信することで、若い世代を中心に多くの人を惹きつけた。

 一方で、栗城さんのスタイルには批判もつきまとった。常に「単独・無酸素」を信条としたが、本来の意味での「単独・無酸素」には当てはまらない部分もあった。「単独」登山を、ある登山家はこう定義する。

「単独登山とは本来、ベースキャンプを出発してから第三者の支援を一切受けずに登頂し、ベースキャンプまで帰還することです」

 しかし栗城さんの登山では、撮影班がすぐ近くを移動するなど、いわば見守られている状態だった。過去には自身のブログで、隊のシェルパ(ヒマラヤ登山のガイド役)が途中までルート工作したことも明かしている(記事は削除済み)。

 また、登山計画も実現可能性に欠けるものだった。

 今回栗城さんが挑んでいたエベレスト南西壁について、「登山界のアカデミー賞」ともいわれるピオレ・ドール賞を2009年に日本人として初受賞した登山家の天野和明さんはこう語る。

1/2ページ

最終更新:5/25(金) 20:24
AERA dot.

記事提供社からのご案内(外部サイト)

AERA dot.

朝日新聞出版

「AERA」毎週月曜発売
「週刊朝日」毎週火曜発売

「AERA dot.」ではAERA、週刊朝日
アサヒカメラの記事や、独自取材の
芸能記事などを読むことができます。さらに
アサヒパソコンのオンライン版もあります!