ここから本文です

北朝鮮の元将校だからわかる「朝鮮半島の南北統一はきっと失敗するよ」

5/27(日) 7:02配信

FRIDAY

「南北首脳会談の生中継は見ていないよ。いまはタコ漁が最盛期だから、忙しくてそれどころじゃなかったんだ。会談後、韓国は軍事境界線のスピーカーを外したり、北朝鮮は時差を無くしたり、両国は細かい部分で和平に向かっている演出をしている。さらにロシアまで鉄道をつなげる計画まで語られている。しかし、これらはすべて北の経済を復興させるためのものに過ぎない。オリンピックで友好ムードにはなったが、南北統一となると話は別だ。これまでと同じように“宣言“だけで終わりとなるんじゃないか」

 脱北者のパク・ミョンホ(53)は、南北首脳会談についてこのように語った。

 彼は長男のチョンジュル(28)とともに、故郷の名を冠した漁船で、早朝漁へと出発する。接近する漁船を注意深く見張り、舵輪を操作するのはチョンジュルの仕事だ。ミョンホの漁は、総重量60キロにもなる旧式の潜水服を着用して行う。その姿はまるで宇宙飛行士のようだ。

「この潜水服は昔、日本から持ち込まれた。日本では潜水服を着用する漁を『潜り漁』と呼んでいたので、韓国でも潜水漁師のことを“モグリ“と呼ぶんだ。水深30mまで潜るためとても危険で、多くの仲間が海で死んだ。私も3度死にかけたことがある」(ミョンホ)

 潜水中、空気を送り込むチューブが船のスクリューに巻きこまれるなどの事故が原因で、この5年間に9人のモグリが死亡している。現在、韓国国内のモグリはミョンホを含めて7人のみとなった。

 そんな危険な漁でミョンホは、1キロ3500円以上で取り引きされるタコを狙う。潜り始めて約20分後、海面に浮上したミョンホの手には、3匹のタコとホヤやナマコが入った網が握られていた。潜水服を脱いだ彼に安堵の表情が浮かぶ。

 軍の将校だったミョンホは北朝鮮のチョンジン市で、妻と2人の息子と不自由のない生活を送っていたが、1996年頃から韓国への亡命を考えるようになった。

「北朝鮮では10年を超える兵役の義務がある。息子たちの将来を考えるとこの時間が無駄に感じて仕方が無かった。反対する妻を説得し、2年かけて逃亡ルートを綿密に調べた。さらに韓国でも家族が生活していけるよう、軍務の合間に潜り漁の技術を身につけたんだ」(ミョンホ)

 多くの脱北者が中国との国境を陸路で越えるが、パク一家は漁船を装った古い小舟を使い、黄海を南下するルートを選んだ。危険を伴う海路を敢えて選んだ理由は、陸路ではたとえ国境を越えることができても、中国当局に拘束された場合には、家族が離ればなれになる可能性が高いからだ。家族を一番に愛するミョンホにとって、家族が一緒にいられなければ脱北する意味がない。家財や思い出の品などをすべて捨て、韓国に近いオンジン郡から小舟に乗り込んだ。1日分の食料と、万が一脱北に失敗したときに一家で自決するための毒薬だけを携えて――。

 ’06年5月24日、北朝鮮が核実験を成功させた年に、パク一家は脱北に成功し、ついに韓国の地を踏むことができた。

 しかし、自由を求めて命がけでやってきた一家を待っていたのは、70年間の分断によって生まれた南北の格差。そして、“脱北者“への差別だった。ソウルに住居を構えたミョンホは生活のために、建設業をはじめ様々な職を転々とした。

「脱北者には、都市部では明るい未来がないということがわかった。だから、身につけた潜り漁を行いながら、家族が生きていける場所を探した」(ミョンホ)

 こうして、’08年、一家は祖国に隣接する韓国最北の港町デジンに移り住んだ。漁師として新たな人生がスタートした。

 ミョンホは、もしこの先自分が死んでも家族が路頭に迷わないよう、海鮮レストランを開いた。海辺にあるレストランには、妻が作る北朝鮮の伝統的な海鮮チゲとミョンホが海で獲った新鮮な魚介の刺身を求めて、連日多くの客が訪れる。

「妻と結婚したことが自分の人生で一番の幸せだと思っている。死を覚悟して一緒に韓国に付いて来てくれたことに、心から感謝している」

 ミョンホにとって家族は死線を一緒に超えた戦友のような存在だという。

 ミョンホは最後に南北首脳会談についてこう語った。

「金正恩は体制を守るための手段として平昌オリンピックや首脳会談を利用しており、その結果、すべて北朝鮮が望む方向に進んでいる。南北統一は容易ではない。北朝鮮には統一の意志はあるが、能力がない。韓国には能力があるが、意志がない。これが南北の悲しい現実なのだ」

写真・取材・文 横田徹

最終更新:5/27(日) 7:02
FRIDAY