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京都は40年前に路面電車を廃止した、大きな過ちだった

5/29(火) 19:25配信

ニューズウィーク日本版

<1895年に日本初の市電が京都市に誕生し、その後、日本最大の路面電車網となったが、今はもうない。世界各地で市街中心部への車の乗り入れを禁止しようという動きがあるが、京都の市電を復活させる手立てはないのか>

京都市を訪れる観光客は年間5700万人近くに上るが、その中で、この街がかつて日本最大の路面電車網を誇りにしていたことを知っている人はごくわずかだろう。

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京都は美しい街であり、日本文化の中心だ。今年は明治維新から150年目を記念するさまざまな祝賀イベントが行われている。その一方で、祝賀気分は薄れるものの、京都の歴史におけるもう1つの出来事がある。「市電」の名で親しまれた路面電車網が全面廃止されてから、今年で40年目を迎えるのだ。

最近は世界各地で、市街中心部への車の乗り入れを禁止しようとする取り組みが目立つ。さらに、シドニーをはじめ、かつては広範囲の路面電車網を誇りにしていた多くの都市が、「LRT(ライトレール)」システム(日本では「次世代型路面電車システム」とも呼ばれる)の導入や拡大に向けて懸命な努力を続けている。

振り返ってみると、市電の全面廃止は京都の歴史における最大の誤りの1つだった。今の京都は、車による支配から逃れようと必死になっているからだ。

日本で最初の路面電車

京都の市電は、政府が東京に移転した後の経済再生戦略の一環として1895年に開業した。最初の取り組みには、1890年に完成した、京都と琵琶湖を結び、トンネル数本を含む8キロの水路の建設が関係している。これにより日本初の商用水力発電所に水が供給され、そこから新しい路面電車に使用する動力が提供された。

市電網は時とともに拡大した。1960年代半ばまでには、総延長70キロを超える路線となり、金閣寺、銀閣寺、京都御所、二条城、清水寺などの主要な観光名所の全てが結ばれた。

それでも、規模としては比較的小さい。シドニーにはかつて291キロに及ぶ路線網が巡らされていた。メルボルンのトラムは現在、総延長250キロで世界最長だ。

京都が市電を廃止した理由

京都の市電の旅客数は、1965年に年間で2億1000万人を超えていた。一方、シドニーとメルボルンでは、1940年代の最大旅客数がそれぞれ4億500万人と2億6000万人だった。

日本は1960年代に高度経済成長を迎え、都市化が進んだ。1970年までに、京都市の人口は1400万人を突破。それによって、市電は3つの大きな影響を受けることになった。

1つ目は、自家用車の所有が1965年の14万台から1980年には38万台と、3倍近くに増えたことだ(京都市の資料より)。交通渋滞によって市電が遅れるようになった結果、乗客数と収益性が減少した。

2つ目は、京都で「人口のドーナツ化現象」、つまり中心市街地の人口が減少し、郊外の人口が増加する現象が起きたことだ。これに対応するため京都市は、郊外にバス網を整備することにした。

3つ目は、京都市による地下鉄網の開発だ。1981年には、南北を結ぶ烏丸線の最初の区間が開業している。

市電は次第に乗客と資金を失っていき、1978年には当時の市長が全面廃止を決定した。現在残っているのは、京都市北部の短い区間を走る民営の2路線、嵐電と叡山電車だけだ。

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